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ゆっくり・きょろきょろ 旧中山道を歩く
その2

蕨宿-浦和宿-大宮宿-上尾宿-桶川宿-鴻巣宿
  
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区間 旧中山道里程表 カシミール3D 歩数計 備考
蕨宿-浦和宿 5.5 km 4.7 km 8,226 この日の出発は志村橋 
浦和宿-大宮宿 5.0 6.4 7,466
大宮宿-上尾宿 7.9 7.9 11,232
上尾宿-桶川宿 3.7 3.8 5,266
桶川宿-鴻巣宿 7.2 7.8 11,554
合計 29.3 km 30.6 km 43,744
日本橋からの累計 48.0
km 50.4 km 72,919 日本橋からの累積標高 : 95m
route_map
2007年4月
  

蕨宿から浦和宿、大宮宿を経て上尾宿、桶川宿から鴻巣宿へ

  
  
  
 
 
 
中山道は遠い
 不思議な気持である。

 京都を目指しているようには思えない。 北西方向に歩いているのだが、直感的には東北地方に向かっているように感ずるのである。 地図を見ると、中仙道のルートは、大きな中華なべをひっくり返したような形をしている。 長い取っ手の先端が京都であり、今、なべ底に向かって這い上がっているところである。 どうしても遠回りしているように思う。 実際、東海道より40kmほど距離がある。 しかし、東海道には大きな川が多く、幕府の軍事政策上、橋をかけなかったこともあって天候の影響を受けて、旅の日程が狂いやすい。 だから、江戸と京都を行き来する場合にも中山道に価値があったという。 そうはいうものの、やはり、東海道に比べて中山道を使う人は少なかったようだ。
 距離が長い上に、大きな峠をいくつも越えなければならないきつい道だからである。 単に京都までゆくのなら、甲州街道で下諏訪に出て、そこから木曽路に向かう方が楽であろう。 芭蕉も逆コースだが、これに近いルートを使って江戸に帰っている。 だが今回は、目的があるのだから、文句を言わずにきちんと旧中山道を歩くことにしよう。

 
3番目の宿である蕨の旧道には古い民家が残り、脇本陣跡などの表示もあって、旧道の雰囲気が感じられる。 保存への熱意も感じられる。 だが浦和、大宮では寺社以外には殆んど痕跡を残していない。 浦和宿では本陣跡の碑があるのだが、道路から少々入ったところにあるその碑を探すのに苦労した。 通りがかりの人に聞いても、知らないという。 案内表示がどこにもないのだ。 大宮宿や上尾宿では、本陣のあった場所の標識すら全くない。 どうやら埼玉県の東京に近い地域では、戦災や急激な都市化によって失われたためか、旧中山道沿いの景観の復元や保存、紹介にあまり熱心ではなさそうである。 「彩の国」などの現代の表示は多いのだが。  東海道の場合に同様の条件下にある神奈川県とはかなり違うように感ずる。 

 それでも、桶川、鴻巣と進むにしたがって伝統的建造物も増えてきた。 中山道歩きが感じられるようになった。
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  上は、桶川宿で唯一残った旅籠という、武村旅館である。 今も現役である。 




左の桶川市中山道ふれあい館で、中山道歩きの重要な情報を得ることが出来た。 国道事務所発行の中山道ウォークマップである。 ここまできて、中山道歩きへの暖かいサポートが得られるようになってありがたい





      
  

 
                 ケヤキの大木の新緑がみずみずしい
中山道沿いの民家の特徴を予告するように現われ始めた切妻造りである。 白壁に曲がった自然木の貫を使って美しい 
鴻巣は人形のふるさとである
  
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