開始日時 | 2007/06/10 17:58:12 | 終了日時 | 2007/06/10 18:12:52 |
水平距離 | 31.00km | 沿面距離 | 31.00km |
経過時間 | -102545時間-25分-16秒 | 移動時間 | 0時間12分30秒 |
全体平均速度 | 0.00km/h | 移動平均速度 | 124.23km/h |
最高速度 | 361.63km/h | 昇降量合計 | 38m |
総上昇量 | 29m | 総下降量 | 9m |
最高高度 | 26m | 最低高度 | 5m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 17:58:12 | 0.00km | 5m | ||
00:12:30 | 31.00km | 124.2km/h | ↑29m ↓9m | 0.06% | |
GOAL | 18:12:52 | 31.00km | 25m |
2007/04/29 08:49:00
周囲を用水掘りが囲んで賑わった宿場だった。
戸田の渡しのおかげだったらしい。東京から神戸
まで、中山道沿いに「中山道鉄道」の計画があっ
たが、蕨宿ぐるみで反対したため、高崎線の
開通時も蕨宿を大きく外れて線路が敷かれた
2007/04/29 09:05:00
鉄道が1km先を通って、宿場の賑わいが
蕨駅周辺に移ったためだろう。よき時代の
面影を残す建物がかなり残っている
2007/04/29 10:07:00
小腹を満たす焼米を売っていたという焼米坂を登り、鳥居がなく、狛犬ならぬ、狛うさぎの調神社を過ぎると浦和宿に入って行く。規模の小さい宿場だったようである
2007/04/29 10:24:00
本陣跡を探すのに苦労した。 ニと七のつく日に市が立つニ・七市で賑わったといい、その様子を「野菜を売る女性のブロンズ像」で残している
2007/04/29 10:33:00
浦和宿本陣を探し回って、この小さな公園の
中に碑と説明があるのをやっと見つけた。
どうやらゴミ置き場としての役割の方が大事な
ようである
2007/04/29 11:31:00
2007/04/29 11:47:00
大宮宿の本陣は、今は影も形も、案内さえもない。
このビルがその位置だったらしい
2007/04/29 14:12:00
上尾宿は、小さな宿場だった。二度の大火で
本陣や旅籠は焼失してしまったそうだ。この宿
には飯盛女が多く、取締りの厳しかった川越
藩から若侍が通ったとか。名残を惜しんだ
「さよなら横丁」もあったという
2007/04/29 14:24:00
本陣跡、脇本陣跡のすぐ近くがJR上尾駅である
2007/04/29 15:13:00
こんな懐かしい光景が現われると、じっと佇んで
いたくなる
2007/04/29 15:21:00
川越と同様の蔵造りがこのあたりにも
かなり多く、武州路の特徴を形作って
いる
2007/04/29 15:35:00
桶川宿の中心地である。 ここの案内所で、旧中山道の貴重な地図をもらった
2007/04/29 17:13:00
鴻巣は人形の町である。町の名前にも人形町
とつけられている
2007/04/29 17:29:00
鴻巣が今回の終点である。調子に乗って、
自宅からの移動分も含めて38kmほど歩い
たら、かなり疲れた。