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ゆっくり・きょろきょろ 旧中山道を歩く 
その3

鴻巣宿-熊谷宿-深谷宿
  
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区間 旧中山道里程表 カシミール3D 歩数計 備考
鴻巣宿-熊谷宿 16.4 km 16.6 km 23,701
熊谷宿-深谷宿 10.8 11.1 16,488
合計 27.2 km 27.7 km 40,189
日本橋からの累計 75.2 km 78.1 km 113,108 日本橋からの累積標高 : 124m
route_map
2007年5月
  

鴻巣宿から熊谷宿を経て深谷宿へ

  
 

   
 

のどかな中山道
 蔵造りの商家が増えてきた。川越に見られるあの厚くて立派な瓦の棟を載せたがっしりした建物である。 川越の蔵造りは、火災の反省から出来た防火建築と聞いたが、距離的に近い鴻巣あたりにもそれが及んだのであろう。 町を抜けると,、ところどころで畑が広がるようになってきた。 中山道を歩き始めて初めて見る畑は小さかった。 しかし、やっと大都会の喧騒から抜け出そうとしていることを感じてホッとした。 遠くには秩父の山も見えてきた。

 さらに吹上を過ぎて熊谷近づくと、広大な緑の世界が一気に登場した。 荒川の堤防、熊谷堤である。 川面がまったくみえない河川敷が秩父の山めがけて広がっているのだ。 大きな空の下で、この上ない清々しさであり、草の上に寝転がって過ごしてみたくなるのどかさである。 美しいこの季節の、とびっきり美しい中山道である。

 この熊谷堤は、天正二年(1574)洪水防止のために北条氏邦によって築かれ、その後、忍藩が修築したという。 しかし、近代的な堤防が出来た後の昭和22年9月、キャスリーン台風によって、ここで決壊し、この付近のみならず東京まで大被害を及ぼした。 決壊した場所に碑が立っている。 のどかなこの地にかつて地獄の場面もあったのである。
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栄泉の「鴻巣 吹上富士遠望」
 
やっと荒川の水面が見えるところまで来た。 右はかつてあった木造仮橋の久下橋だ。 (記念碑にあった写真) 
 国土交通省からもらった中仙道の地図は、下流に出来た新しい橋ではなく、この仮橋のままである。 混乱した
  
   

  
  
  
終戦があと12時間早ければ・・・・
熊谷は終戦の日の前日深夜から未明にかけて空襲にあって70%を焼失した。 大田南畝が壬戌紀行に「熊谷の駅にいれば、・・・人家ことに賑わひて江戸のさまに似たり・・・」と書いているが、その宿場の雰囲気を伝える町並みが消えてしまったという。 終戦があと12時間早ければ・・・、という無念な思いが今も残る町である
  
  

  
  
   
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