旅日記-我ら青春の1ページ 東北(下北・十和田)の旅 第3日 木間部(テント)―大湊―野辺地 註: <文中の赤色の小さい文字は旅から帰った後に書き込まれた落書きです> 旅日記-わが青春の1ページトップへ戻る 東北の旅トップへ 前の日へ 次の日へ |
昭和37年10月3日 水曜日 天候 不明(雨ではない) 升谷 |
テントの天井がほんのりと明るくなってみんな動き始める。 夜中にシュラフから頭を出して振ってみたら頭痛がするので、またやっかいな扁桃腺炎にでもなったかと心配したが、起きてみんなの話を聞くと自分だけではないらしい。 とにかくせまいテントから抜け出して露に濡れた草の上に出る。 どうもおかしい・・・・・・・・・。<いつもおかしいが今日のはちょっと違う> 3人とも十分寝たから寝不足ではない。 食欲も出ず(いつもの二人に似ず<3人>梨を一つずつ食べて終り。前夜の宴のあとを片付け、テントをたたんでバス通りに出る。 水島は体の調子が相当悪いらしい。 小学校、中学校の校庭ではラジオ体操をやっている。 いつもなら一緒になって踊りだす男も今日ばかりはおとなしい。 大畑行きのバスに乗り込み、来た道を揺られる。 駅でもベンチの上で横になってしまう。 次の予定地に向かって汽車に乗り込んだが前途の見込みは明るくない。 水島は座席に横になってしまった。 病因をいろいろ考えてみたら、結局炭酸ガス中毒ということになった。 袋の中にもぐりこむ格好のナイロンテントの中で入り口を完全に閉じて寝たので酸素が不足したらしい<メタンガスの充満も>。 小さな通気孔を過信したようだ。 水島はシュラフの中にもぐりこんだので一層被害が大きかったのだろう。 読みが浅かった! 大畑の森林軌道がどけられちゃったので、湯の川温泉までは乗ってやろうと大湊でカー(気動車)を降りたが、水島がもはやだめらしいので野辺地へ出て泊ることにして、降りたばかりのカーにまた乗る。 カンパンとソーセージと牛乳で昼食。 <水島、食欲はあり> 荒涼とした海岸が延々と続く。 海は来るときより荒れている。 ・・・・・・はこの辺に新婚旅行で来ると宣伝している。 駅のホームに立っている人、列車に乗ってくる人、意外に美人多し<すでに目が「鈍」してきたネ>。 野辺地駅を降りてすぐに宿探しを始める。 駅長さんに相談すると、近くの旅館をいくつか教えてくれる。 あまり賑やかではないが東北の田舎町のメインストリートを歩く。 向かい合わせて二軒の旅館があった。 どちらもきれいではないが、カンロクのある方の旅館で交渉してみる。 赤ちゃんを抱いた若奥様が応対してくれた。 550円で決定。 駅で待機中の水島と荷物を運んで二階に上がる。 水島だけは病気ということで別室に布団を敷いてもらって、また寝込む。 残る我々もボンヤリして横になるといつしか眠ってしまった。 依然として頭が痛い。 大原はパチンコをやりに外へ出るが、すぐにリンゴを抱えて戻ってきた。 あっという間にすっちゃったそうだ。 大原と二人でトランプをする。 水島は良く寝ている。 もっとも寝ながら医学の勉強をしていたらしい。 夕食の部屋に,、水島はいつも通りの元気な顔で飛び込んできた。 よく眠り、よく食べ、これなら明日は大丈夫だろう。 水島を残して二人で明日のバスの時間を確かめに外に出る。 駅前のものすごい旅館で、壁に貼ってあったバスの時刻表を(娘さんから)いただいて帰る。 野辺地の夜は暮れる。 ラーメンの笛と馬車のヒズメの音とともに・・・・・・。 <そして、升谷の・・・・・の音もやがて寝言に変わる> |