- 旅の話題 - |
話題 その1. <中山道の格子>
下諏訪宿に来て、「出梁造り」とともに、「竪繁格子(たてしげこうし)」がこの宿場独特の様式であるとの説明があった。しかし、これには少々とまどった。東海道以来、街道を彩る格子の代表的な形は「連子格子(れんじこうし)」であると書いてきた。中山道でも本庄、高崎あたりから連子格子が増えて、ここ下諏訪宿に入り、有名な三つの源泉湯を通る雰囲気ある旧道にも多くの格子が見られる。これらも同じように見えるので、連子格子だと思っていたのだ。「竪繁格子」と「連子格子」の違いが分からない。
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話題 その2. <拾えなかった黒い石>
和田峠付近の男女倉(おめぐら川付近は黒曜石で有名である。古代からここでとれた石が各地に運ばれてヤジリなどに使われていたらしい。 ひと頃は旧中山道のこの辺を歩いていて、道で拾うことこともできたと聞いていたので、歩きながら探そうと思ったが、見事な落ち葉がすべてを覆っていて無理だった。 もっとも、すっかり拾われつくして、今は見かけることもほとんどないそうだ。 |
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意外に透明なガラス質である これは東餅屋跡の茶屋で入手したもの |
話題 その3. <塩羊羹>
下諏訪に着いたら必ず味わうこと、と仲間からアドバイスをもらっていた新鶴の塩羊羹を味わうことができた。 泊った元脇本陣の「まるや」に着いた時のお茶受けにも出た。 最重点、かつ唯一の買い物のために翌日、朝から出かけた |
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新鶴本店である。 すぐ売り切れるというので朝のうちに行ったらすでに先客が数組いた。 水曜日がお休みであることにご注意を。 |
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その新鶴の塩羊羹である。 いや、ここには、「味較べを」というアドバイスのあった、日光の塩羊羹も同時に登場している。 なぜか!
実はこれは、先輩Oさんのおかげである。 較べると、まるで違うタイプの塩羊羹だった。
たしかに、おいしい。 とにかく、おいしい。 |
話題 その4. <200年前の漆器で食事>
下諏訪の宿についても、仲間からアドバイスがあった。 しかし今回、急に実行することになった和田峠越えは、当初下諏訪に着いたら、そのまま特急あずさで帰るつもりだった。 ところが、周囲から、中高年の、山道の独り歩きを危惧する声が出て、急に心配になった家内が、山歩きは出来ないがせめて下諏訪まで迎えに行く、と言い出したのである。 というとたいへん格好がいいが、実はそういう口実で下諏訪温泉に泊りたいということである。 それならばと調べたら、またいろいろなアドバイスや、その他たまたまの事情もあって、この旧脇本陣の「まるや」さんにお世話になったのである。 一日3組しか引き受けない宿で、その上たまたまこの日は我々だけだったから、殿様気分である。 中山道と甲州道中が合流する角にある建物は、下諏訪の旅籠の建築様式を取り入れて、脇本陣兼旅籠を復元したという。 数えたら合計たたみ21畳の広々した部屋であった。 奥様ご自身による見事な料理をはじめ、たいへん心のこもったもてなしを受けた。
実はここのご主人は、中山道を守る会の会長さんである。 出発前に電話で、西餅屋跡から下った一里塚付近の旧道が歩ける状態かどうかを訊ねたところ、「守る会がきちんと整備したので大丈夫です」と太鼓判を押してくれたのだ。 今回の和田峠越えでは、和田側も下諏訪側も道の整備が十分になされていたし、標識もしっかり作られていて、不安を感じなかった。 峠からすぐ下の急坂では、砕石が折り重なってルートを見失いがちな道だったが、 ずり落ちそうになるその下り坂に、まるでスキーの回転コースのポールのように、案内ポールが次々に設置されていて心丈夫であった。 守る会の方々や行政のおかげだろう。
和田峠越えを祝うにふさわしい立派でよい宿であった。
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ゆっくり温泉につかって、ビールと信州の酒「真澄」で疲れを癒した。 吸い物の器は、200年前に、脇本陣の頃使っていた漆器だそうだ。
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