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ゆっくり・きょろきょろ 旧中山道を歩く
その 10

和田宿-下諏訪宿
  
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区間 旧中山道里程表 カシミール3D 歩数計 備考
和田宿-下諏訪 21.2 km 20.9 km 36,154 下諏訪(歩数):八十二銀行前交叉点
日本橋からの累計 216.4
km 221.1 km 337,360 日本橋から下諏訪まで累積標高 : 3,175m
route_map
2007年10月
  

和田宿から和田峠を越えて下諏訪宿へ

  
 和田峠越えである。 碓氷峠の分水嶺にある峠の茶屋の主が、「和田峠は碓氷峠より楽ですよ」と言っていたが、中山道随一の難所と書いている本が多く、緊張する。 今回の西に向かう登りの方が、江戸に向かう東への登りより楽らしいことは下の勾配図でも分かる。  しかし、峠からの急な下り道は歩きにくそうだし、西餅屋跡下、一里塚の先の崩れた旧道が通れるかどうかも問題である。 とにかく一日で、標高1600メートル、標高差800メートルの和田古峠を越えて、下諏訪までの21キロメートル、歩かざるを得ない。

  
      
  
   
   
  美ヶ原へのビーナスラインへの分岐点
永代人馬施行所跡
 この美しい落ち葉も、石や水のある道では大きな障害となる 
東餅屋跡付近
  
和田(古)峠まぢか カラマツもすでに落葉  落ちたカラマツの葉がやわらかいクッション  しかし標高10m上るたびに一息入れる 
和田峠より 木駒ケ岳  高圧線が邪魔をする
 このように水と石のあるところでは、落ち葉が邪魔をする 
  水戸浪士の墓も過ぎて国道を歩く
  
  
  
万治の石仏:岡本太郎によって有名にになった
  下諏訪の旧道沿い 左は本陣の屋敷の一部
諏訪大社下社秋宮 正面奥に御柱が見える
下諏訪宿 突き当りが中山道・甲州道中合流点 その先は本陣跡  手前は旧脇本陣・旅館まるや(今回の宿)  面格子は「竪繁格子」   
   
<中山道随一の難所>
 美しい旧中山道の、最も美しい季節を歩いたようだ。 街道の道案内や名所案内は他のWEBサイトにお任せすることにして、今回も、眼に焼きついた美しい風景だけを見ていただいた。

 まるで、もみじ狩りにでも行ったように見えるが、21kmの上り下りの行程は思ったよりきつかった。 霜がおりてかなり寒いらしいとの情報で、念のために防寒対策をし、天気も安定しないので雨具もいろいろ準備して、などと荷物が重かったこともある。 トレーニング不足だったためか、荷物だけでなくて体も重かった。


 特に、峠からの下りがつらかった。 いきなり、ガレ場で始まった西餅屋跡までの急坂は、途中からゴロ石の沢道に水が流れているのだが、積もった落ち葉が邪魔をして、足を下ろすべき位置がわからない。 右手のステッキだけでは足場が確保できず、2,3cmの枝につかまって体重を預けたとたんに枝が折れた。 枯れ枝だったのだ。 倒れながら必死にステッキで持ちこたえて、気付いたら目の前10cmに大石があった。 今回2回目の転倒である。

 このように、峠から最初の下りの3kmは山道で、足元がひどいので難儀したが、そのあと8kmの下諏訪までの旧道は殆んどが国道と重なっている。 国道に寸断されて、旧道が特定できなかったり、田畑になっているところもあるという。 国道そのものは歩き安いが、延々と続く舗装道路は、急坂の悪路下りで疲れ切った足腰にとってはつらい道であった。 

 しかし、紅葉に彩られた山々や、澄んだ田園風景に心が和んで、しばし見とれた。 西に傾く陽の逆光を受けて、山の端に透ける木の葉や、棚田の畦道に揺れるすすきの穂が実に美しい。 中山道随一の難所は、中山道随一の美しいところでもあったようだ
 
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 − 旅の話題 
話題 その1. <中山道の格子>

 下諏訪宿に来て、「出梁造り」とともに、「竪繁格子(たてしげこうし)」がこの宿場独特の様式であるとの説明があった。しかし、これには少々とまどった。東海道以来、街道を彩る格子の代表的な形は「連子格子(れんじこうし)」であると書いてきた。中山道でも本庄、高崎あたりから連子格子が増えて、ここ下諏訪宿に入り、有名な三つの源泉湯を通る雰囲気ある旧道にも多くの格子が見られる。これらも同じように見えるので、連子格子だと思っていたのだ。「竪繁格子」と「連子格子」の違いが分からない。 
      
    >>>    小文 「中山道の格子」 全文へジャンプ  

話題 その2. <拾えなかった黒い石> 

 和田峠付近の男女倉(おめぐら川付近は黒曜石で有名である。古代からここでとれた石が各地に運ばれてヤジリなどに使われていたらしい。 ひと頃は旧中山道のこの辺を歩いていて、道で拾うことこともできたと聞いていたので、歩きながら探そうと思ったが、見事な落ち葉がすべてを覆っていて無理だった。 もっとも、すっかり拾われつくして、今は見かけることもほとんどないそうだ。
   
意外に透明なガラス質である これは東餅屋跡の茶屋で入手したもの

話題 その3. <塩羊羹>

 下諏訪に着いたら必ず味わうこと、と仲間からアドバイスをもらっていた新鶴の塩羊羹を味わうことができた。 泊った元脇本陣の「まるや」に着いた時のお茶受けにも出た。 最重点、かつ唯一の買い物のために翌日、朝から出かけた
新鶴本店である。 すぐ売り切れるというので朝のうちに行ったらすでに先客が数組いた。 水曜日がお休みであることにご注意を。
 その新鶴の塩羊羹である。 いや、ここには、「味較べを」というアドバイスのあった、日光の塩羊羹も同時に登場している。 なぜか!
実はこれは、先輩Oさんのおかげである。 較べると、まるで違うタイプの塩羊羹だった。 
 たしかに、おいしい。 とにかく、おいしい。 

話題 その4. <200年前の漆器で食事>
 
 下諏訪の宿についても、仲間からアドバイスがあった。 しかし今回、急に実行することになった和田峠越えは、当初下諏訪に着いたら、そのまま特急あずさで帰るつもりだった。 ところが、周囲から、中高年の、山道の独り歩きを危惧する声が出て、急に心配になった家内が、山歩きは出来ないがせめて下諏訪まで迎えに行く、と言い出したのである。 というとたいへん格好がいいが、実はそういう口実で下諏訪温泉に泊りたいということである。 それならばと調べたら、またいろいろなアドバイスや、その他たまたまの事情もあって、この旧脇本陣の「まるや」さんにお世話になったのである。 一日3組しか引き受けない宿で、その上たまたまこの日は我々だけだったから、殿様気分である。 中山道と甲州道中が合流する角にある建物は、下諏訪の旅籠の建築様式を取り入れて、脇本陣兼旅籠を復元したという。 数えたら合計たたみ21畳の広々した部屋であった。 奥様ご自身による見事な料理をはじめ、たいへん心のこもったもてなしを受けた。


 実はここのご主人は、中山道を守る会の会長さんである。 出発前に電話で、西餅屋跡から下った一里塚付近の旧道が歩ける状態かどうかを訊ねたところ、「守る会がきちんと整備したので大丈夫です」と太鼓判を押してくれたのだ。 今回の和田峠越えでは、和田側も下諏訪側も道の整備が十分になされていたし、標識もしっかり作られていて、不安を感じなかった。 峠からすぐ下の急坂では、砕石が折り重なってルートを見失いがちな道だったが、 ずり落ちそうになるその下り坂に、まるでスキーの回転コースのポールのように、案内ポールが次々に設置されていて心丈夫であった。 守る会の方々や行政のおかげだろう。

 和田峠越えを祝うにふさわしい立派でよい宿であった。 
ゆっくり温泉につかって、ビールと信州の酒「真澄」で疲れを癒した。 吸い物の器は、200年前に、脇本陣の頃使っていた漆器だそうだ。 
       
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