旅日記-我ら青春の1ページ 東北(下北・十和田)の旅  
 
第1日  上野-夜行急行・八甲田号


註: <文中の赤色の小さい文字は旅から帰った後に書き込まれた落書きです>
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   昭和37年10月1日 月曜日   天候 快晴    大原
                               
  9時30分起床。まず天気を確かめる。 晴れていたので眠いのをガマンして起き上がる。 それから水島のところへ。 道路で梅干をぶら下げた水島と会う。 2年前に彼に貸した赤シャツをどうやら返してもらって用意をして家を出たのが10時15分。 水島はすでにオムスビを作っていたが、どうも二年前北海道に行ったときと殆んど変わっていない。 それから昼食を終って水島のところを出たのが正午。 総武線の電車が混雑して、初めて持った大きな荷物をもてあます。
  上野に着いたのが1時3分前。 約束は1時だから升谷はまだかと思ったら既に来ていた。 
<ヒマだったんだ> きっと何かを期待して早くきたのだろうが何も得てはいなかった。 しかし八甲田号6号車のトップに並ぶことが出来た(来るのが早すぎたということ!) 30分程すぎたころ直江津行きにのりこみ女性の側でくだらない話をしていたら彼女らは席を変えてしまった。 そこでまたホームにおりて並ぶと、水島によると高校生らしき女性が僕に声をかけて「八甲田ですか?」とたずねる。<僕はずっと前から既に話をしていた>  彼女ら、持ち物の様子から推定すると北海道に行くらしい。 その後・・・・・が聞くところによるとやはり北海道とのこと。 そこで北海道旅行の経験のある我々は得意になって経験談を語る。 (後で・・・・・<大原>曰く「今日の待ち時間は短かったなあ」) 2時40分先程の彼女らは5号車へ<なぜ別れたんだ?>我らは6号車へ乗車。 もちろん一等席は確保。 我々は三人なので、なるべくそれにふさわしい人を座らせようと・・・・・が努力する、ついに発車間際に座ったのは色の黒いオバアチャン。 そのタイミングの良さがふるっている。 ・・・・・の目の方向から若き女性が二人来たので彼があわてて席を一つ空けると彼のうしろから来たオバアチャンが素早く席を確保。 平素の行動の悪いのはやはりだめ。
  発車まで絶望とは覚悟していてもやはりだれか見送りに来ないかとホームが気にかかる。 しかし、誰も来ない間に発車。 発車するとすぐ水島の差し入れのスルメの姿焼きとかいうものをジャンケンで少しずつ、少しずつ、結局全部食べてしまうが、我輩の成績は一勝三敗と悪い
<腹の調子が悪かったのだろう> 。 あとは夕食の心配のみ。 我輩の反対もあったが6時と決定。  大宮を過ぎて間もなく二人は目を閉じてオネンネ。 関東平野は刈入れに忙しい。 その中を我々の八甲田は一路北へ走る。 小山でオバアチャン下車。 今度は替わって福島に行くおじいさん。 夕食はついに我輩の熱望で5時20分開始。 水島の手を吹き吹き作ったまん丸いむすびと升谷のお母さん心ずくしのおかずを約20分で頂く。 その後風邪気味の我輩は升谷の薬の最初の使用者となる。 
  郡山で横のおじいさん席を変える。 続いて若い女の人が来る。 ・・・・・・が、にこにこにやにやして迎える。 福島まで三人でトランプをする。 我々の美しき友達は常ににこやかに見つめていらっしゃっる。 特に、・・・・・のダウトにおける天才的なウソにはさすがに顔を赤らめている。 福島を過ぎると彼女もいつしか我々の仲間となっている。 彼女は仙台までとのこと。 仙台まで楽しく遊びました。 ・・・・・・曰く (ただし仙台をすぎてから) やっぱり女性がいるほうが楽しいねえ。 
  仙台の駅で水島に内緒でソバをたべていたら1番線から5番線まで聞えるような大声でどなられました。 水島は元気のいい男です。 おかげで升谷はソバがのどにつまったそうだ。 仙台を過ぎると車内放送も休みだそうで、まだご活躍の二人を残して十月一日からの暖房車でゆっくりねむりました。

    ・・・・・は升谷 又は 水島です
<或いは大原> 。
 

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