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旅日記-我ら青春の1ページ 伊豆半島一周    第6日     雲見-松崎-土肥
     昭和35年(1960年)3月16日 水曜日   晴 午前中風強し      
                                       今日の地図

  朝7時ものすごいサイレンで目が覚めたが、なかなか床を離れられない。 一応旅館ではあるが、洗面所もなく、となりの家の洗面所を借りて顔を洗う。 朝食はウズラマメとノリとサヤエンドウのみそ汁。 相変わらずおひつはたちまち空。 例によって順番を決めて朝のオツトメ。 8時半に昨日の農工大生出発。 我々はずっと遅れて9:50に出発。 天気晴朗ナレド波高シ。 今日は船も欠航との事。 岩地までは順調に進んだが、岩地で道はゆきずまり、相当逆もどりして細いみちに入り、登ったり下りたりした。 山の斜面には段々畑が上までのびて平地のない漁村の貴重な存在になっているらしい、松崎までの最後の山を登ったところで、どこかのオッサンに出会った。 背に草をのせたオッサン曰く “あんたがたどこからきたんかね” “雲見です” “ソウかね。 あんたがたどこの大学かね” “千葉です” “ソウカネ。 今年は倍率が高く大変だったネ、たいしたもんだネ。 社会(*1)に出たら国の金で伊豆を開いておくれ。 伊豆はまだまだ辺ぴだから。 松崎には山本富士子みたいな美人(*2)もいるから、よくみておきなさいよ”
 今まで数十戸の小さな村をまわって来た我々には、山の上からみた松崎は、相当大きな町に見えた。 畑はきれいに区画整理されている。
今朝旅館で作ってもらった弁当のおにぎりの大きさからみて、これだけではとても持たないとの一致した見解により久しぶりに食堂へ。 新聞をみるのも久しぶり。 60円也の玉丼、存外おいしかったのも何日振りかのせいでしょうか。 そこを出たのは1時すぎ。(*3)

 今まで東海岸、南端、それに小浦から雲見までの余りに素晴らしい景色をみた我々にはそれほど良いとも思わない堂ヶ島で写真をとってからまたテクテク(バスの客はこんな所で満足している。 カワイソウニ)。 田子で道をたずねた小学生曰く、“どこへ行くの” “土肥だよ” “何で行くの”歩いて“ ”何しに行くの“”・・・・・“  実際、今まで6日間歩いて来たけれど伊豆になにしに来たのだろう・・・・・。 でもそんな事問題じゃない。 ただ歩くだけ。 なにしに来たのか後でわかるさ。 これも田子の小学生が仲間に言っていたこと “あの人たちなんだろう。 戦争する人かな ”リュックにハンゴウをくくりつけたり、タワシをぶらさげてドタドタ歩いている姿はなるほど自衛隊に見えたかもしれない。 安良里に入る前、おやつとしておにぎりを食べた。 例のノリをぬりつけた中にシソの葉が入っていた。 
 大原のマメもますますひどくなってバスに乗ることにしたが、その前にトラックに便乗しようと待ちかまえる。 ところがいよいよ来たとなると、気の弱い我々、手を肩までしか上げず(*4)
、運チャンはアイサツと間違えてそのまま素通り、後でみんな大笑い(泣き笑い)。 そのまま機会がないまま安良里の部落を抜けて黄金崎とか云う景色のよい岬まで歩く。 ところが、ところがです。 そこにいた女学生連、丁度きた自動車に声をはりあげて“ノセテー”。(*5)  あっけなく便乗してしまった。 あっけにとられたのは四人の男。 とにかくそこからバスにのって土肥港まで。 
 停留所のそばの旅館に値段を聞いたら、“500円でお願いしております”。 そのまままた土肥の街に向って足をひきずる。 途中、肩書の沢山あるなんとかホテルを左に見ながらゆくと、道が二つにわかれている。 そこで中年(より少し若い)(*6)
婦人に道を尋ねる。 ついでに旅館についてきいたら、今左に見てきたホテルも学生なら安いというので玄関までつれていってくれた。 旅館の人に“ヨロシクタモミマス”といってくれた。 そのためかどうかしらぬが最低料金(*7)にもかかわらず眺めの良い部屋に通してくれた。 部屋は三つあって感じはとても良い。 風呂はCaを含むので石ケンがきかないが、胃腸病、神経痛にきくとの事(*8)。 窓ぎわに美術品が置いてあってナントカ風呂みたい。 夕食はマグロの刺身、タコのスノモノ、魚のフライ、カキのスイモノ、タクワン。 大滝にくらべてとても良いとみんな大喜びだが、上の部屋では大騒ぎ。 だから酒好きの男は大キライとは女中さんの言。(*9)  我々のすぐ上の部屋でドタドタやるものだからたまったものではない。 天井が上下運動を始め、電燈もゆれる始末。 同性として客に憤りを感ずるのはもちろん、商売とはいえ芸者をも軽べつしたくなる。 [諸君、こうなりたくないものですな。](*10) 
 大原の足がひどく痛んで、明日は予定通り行けないかもしれない。 足がマメでダメになるとは出発以前に予想もしなかったが、みんな次々とやられて、もうすでに回復したものもいるが、ますますひどくなったものもいて残念だ。 くすりや大繁盛(*11)


<追>  ホテルは海岸の波打際に立っていて、我々の部屋は二階にあり、朝霧という名である。 普段は1200円〜6000円の客が泊まるもので、すぐ下に波が寄せている。 今日の夕焼けは素晴らしく、遥かかなたの水平線(実はすこし陸がみえる(*12)
に沈んでゆく太陽から我々の目の下まで光の帯が細かく揺れてのびている。 右の方に見える陸は赤い夕焼けをバックに紫がかって霞んでいる。

  今日の教訓。 のばすときは思い切りのばすべし。(*13)


<日記ページへの当時の落書き>
 *1 <一説曰く、”国会“、一説曰く、”学校“、また一説曰く”国家“>
 *2
<こういうのには一人も会わなかった>
 *3
<途中でアイスクリーム一本づつ(5円也)食べる。 もう一本といきたいところだったがケチン坊が・・・・・。>
 *4 <両手をあげたこの姿、記憶すべきこと>
 *5 <ここでも女性は強かった>
 *6 <あまりキレイでない>
 *7 
<我々にとっては最高料金>
 *8 
<女中曰く「婦人病はきかないですよ>
 *9
<大人で無邪気だね。芸者とたわむれて>
 *10
<たまにはいいこと言うね。>
 *11 <どうもお世話になりました。>
 *12 <紀伊半島だそうだ。(オチタネ)>
 *13 <ヒゲを>
 *13
 *14
 *15

                                                                              m.m.

                                          今日の地図

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