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旅日記-我ら青春の1ページ 伊豆半島一周    第3日     天城荘-河津浜−下田
     昭和35年(1960年)3月13日 日曜日   晴のち晴      
                                         今日の地図
 7:10 起床。皆、岩風呂が忘れられず(*1)
もう一度入る。 温泉はやはり温泉である。 トナリの部屋は女の人3人。(*2)。 とてもお静かなのに我々はガヤガヤやっている。 あやまることも出来ないが、良心の存在を確認しておく(これは四人中おそらく一人だろう)(*3)――とにかく皆550円<天城荘の最低料金>も出して“天城荘”にとまったので元気がいいということです。
 9:15 朝食。 ようやく朝食(納豆、スイモノ、タマゴ、ツケモノ、+?)平均3バイ。(量には差があるがーーー)
10:10 出発。 現金なものだ。バテて歌も出なかった昨日とは打って変って何だか面白い歌を歌ってる。 しかし最初の5分程で歌も消え、あとは苦痛との斗い。夏みかんが見える。(ただ見えるだけ。) 
12:10 河津浜着。 大原、完全にグロッキー。 海の青さも大島の美しさも今や物理的な波長と物体の関係に帰し、食欲もなし。(ラーメンも食えない) しかし三人はさかんに感心している。
1:00 出発。 有料道路を無料で行く。 歩行者は料金がいらないから。 だれもキセルの話もしないのはこれも無料が故。 途中とにかく海が見える。 これをきれいといっても誤りではないだろう。 が、皆多少いかれ気味。(*4)
 空の青と、海の青が何かをそして誰かを考えさせる。 恋はすのみ。
 * 水島、.途中で夏みかんを得ることに成功。 4個中一個を消化(早いものです。腹に入れるとすぐ消化するような気がする)。 ミカンを得た方法は我々四人のため特に秘す。 が、決して“ヌスミ”なんかやらない。(*5)

 * 下田まで2.5K程のところで一応皆バテル。(*6)
 とにかく皆今日だけで相当ヤラ
   レタらしい。
(*7)

5:20 下田着。水島の知合いの家にゴヤッカイになる。 足の動かない大原を置いて下田見物。 一人これを書いている気持ち。“服部よ、 升谷よ、足の方は大丈夫かね”(*8
)。
 今日の真理
  天気は当番の人格で相当左右されるということ。(*9)
      A.O.
 (注) お世話になったのは高橋さんのお宅


<日記ページへの当時の落書き>
 *1 <これには昨日の事件は関係ナシ。純情なソボクな気持デス。――但し、好奇心ダケはあり>
 *2 <今はじめて3人だったこと知ったよ。よく分かったね。のぞいたな><キレイダッタゾ。アァーー>
 *3 <四人が各々思っている。水島の声>
 *4  <バテタのは、服部、水島、大原の三人。(うそだと思ったら写真をみてごらん)>
 *5 <この方法特筆すべき価値あり!。「夏ミカンいくらですか」 「大きいのは12円、小さいのは10円ダネ」・・・少し考えて・・・「それじゃ小さいのを一つだけ下さい」オバサン、
      チョットビックリシテ、「丁度オヒナサマにと取ったのがあるから、四人さんかね、丁度四つあるからもってゆきなさい」結局タダでもらう。>

 *6  <ざまあみろ!(よく読めない方が都合がいい)>
 *7  <ミカンを食べた所に大原 、服部に借りた帽子を忘れる。 服部、大原の足に同情して取りに引き返す。(が用をなさず) 大原が帽子を忘れたことを思い出した動機。 
      女学生ばかりがのった貸切バスに帽子を振ろうとして頭に手をやったらのってなかった。>

 *8  <大丈夫!><バテて動けないのに、おじさんが、了泉寺を案内すると言ったときのみんなの顔、忘れられないね>
 *9  <そんなこと言っていいも。もう一度当番があるんだよ><もう1日の天気はよもや忘れはしめえな>

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