旅日記-わが青春の1ページその2  北海道一周 第5日   様似  


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1960年(昭和35年)7月29日(金)       くもり      masu
                                       今日の地図
 カーテンの外が明るくなったころ頭の上でゴソゴソすると思ったら、間もなくミシミシ音がして服部がはしごをおりて来た。 ここのユースホステルの部屋はみな段式ベットで一室に8人だった。 ホステルシーツは独特で変わっている。 袋状で人間はスッポリ中にもぐりこんでしまう。 もぐりこんでしまうと文字通り手も足もでず、寝相の悪いヤツにはもってこいとのこと。<体験したくせに> このベッドをぬけだして朝飯の用意を始めたのは5時半。 今朝はホステラーの模範を示すべく他のグループと同席でハンゴウを並べる。
 食後、昨夜の約束で例の女子学生とボートに乗る。 きのうと違って今朝の湖面は波もなく、なおさら静かに感ずる。 湖とはいえ、東山湖とちがって周囲41kmもある「ウミ」だから少しくらいこいでも真ん中に出ることはできない。 <一生懸命でもチットも前に進まなかったのです><→意識してはなれる?> 
<この間、映倫で大分カット> 相変わらず空はくもっていたが朝の湖水は冷たく気持ちよい。
 9.50分再びバスで苫小牧に出る。 一時間ほど待ったのち、様似行きのディーゼルカーに乗る。 北海道のディーゼルは煙の汽車より快適である。 列車が動き出すと間もなく、なつかしい顔が現れた。 OKさんだった。 このところ毎日、C大の学生にあちこちで会ったが、まさかOKさんに会おうとは思わなかった。<僕はうれしかった> 汽車の左は見渡す限りの牧場。 右もまたでっかい海<海はいつもそうらしい>。牛や馬が草をはむ牧場はやっと北海道に来たという実感をもたせてくれる。 のんびりした牧場に立つサイロが北海道農業の厳しさを象徴するとはとても思えない。途中の小さな駅はそんな牧場や広々した砂浜のすぐそばにあり、思わず改札口を出てみたくなる。 我々のボックスはOKさんを加えた五人のトランプで賑やかである。 雄大なところに来たためか汽車の中では笑い声も雄大だ。 大原、水島は顔<どこから見ても><笑いのとまらない顔だものネ><二人とも><四人とも>を見合わせては笑っている。
汽車が終点様似に近づくとあたりは霧がかかって霞んでいる。 様似駅はさいはてのひなびた町のはずれにあって、駅前に立つとなんとなく心細くなる。 
 様似から襟裳への道は右に海、左に絶壁の、晴天なら素晴らしい観光道路だが、あいにくのガスである。 乳白色のかなたを見つめていろいろと思いをめぐらせるのみ。 連日の睡眠不足で頭を上下左右に運動させる者がいる。 予定では幌泉でOKさん等五人組と分かれてそのままエリモ灯台まで行くはずだったが、ガスのかかった岬はロマンチックかもしれないがやっぱりつまらない、という意見が出て<否。同じ旅館の角と角の方がロマンチック>、バスの30分停車を利用して、ここ幌泉で今夜の宿を取るべくニコニコ旅館と交渉してみる。 感じのいいオヤジさんではないが、とにかく別館があいていますとのことで案内される。 初め、ホステラーではないので600円ということだったが、学生さんなので550円、”別館”なので500円。 シーツを借りず、米を出したのでとうとう400円にしてくれた。 
 案内された”別館”というのが普通の民家。 しかも”本館”にあぶれた連中が次々来るものだから、最後には15畳に15人。 我々の部屋は6畳に7人。 10時に消灯してフトンに入る。 フトンの中で大原が<消毒すべし>「ガス中毒」一歩手前になったが、なんとか無事夢の世界へ。
オヤスミ。
<追伸: 別館のトイレも記憶すべし。 独特の型。 綱を必要とする型。> 
    ◎ 縁結びの祈願のために升谷の三脚をささげる

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