旅日記-わが青春の1ページその2 北海道一周 第6日  帯広・糠平  

旅日記-わが青春の1ページトップへ戻る      北海道のトップへ        前日に戻る         次の日へ

1960年(昭和35年)7月30日(土)       晴      ooh
                                       今日の地図

 5時40分起床。 数分間昨夜の活動ぶりを話す。 障子を鳴らしたもの、相手の頭をなぐったヤツ、なぐられた奴、とにかく夜も良く働く連中だ。 洗面の後すぐ食事。 全くあわただしい。 どうにか7時のバスにのる。 バスは満員だった。 でも天気は上々。 本当に”さわやか”というのはかくのごとき状態をいうのだろうと思う。 バスはホコリをたてて走っていく。 山羊が小さな木につながれている。 下の方の海岸では白い波を前にして子供らまでが懸命にコンブをノバシている。 正確にはのばして干している。 
 やがてエリモ岬。 こんなに良く見えるのはまったく幸運だ。 ちょっといい気持ちになってエリモ岬の描写をすれば: エリモは北海道の南端だ。 風が強い。 草も木もイワにヘバリついているのが精一パイだ。 ここにも強い生命力はある。人々は岩陰に家を作り風をよけている。 彼らは昆布を干していた。 ある老人はぬれた昆布をそのままかついて運んでいた。 子供達は行きも帰りも走りどうして運んでいた。 若者たちは船の上からカギを上げ下げしていた。 乙女たちは目だけをのぞかせてもくもくと働いていた。 沖には岩の間にそれと見まがう様にボートが動かず浮かんで昆布をとっている。 波は砕ける瞬間に白い尾を長々とひいていた。 そんなに風が強いところだ。
 OKさんたちのグループと共に少し遊ぶ。 葉書を書いたりしている間にともかく時間になる。 広尾行急行バスは十時十五分にエリモ岬を出た。 本当に一生来ることがないかもしれないところ。 エリモ岬よさようなら。
 バスが乗用車と道路交換したとき、一人の老人が通りかかった。 この老人、バスとの距離が50mもあろうかと思われるところから、電信柱にしっかりと抱きついて道をあけていた。 その曲がった腰とシマの綿入れがひどく印象的だった。 エリモから広尾の間の百人浜付近、素晴らしい景色だ。 それにこのころではスバラシイ気候だ。 でも私は一度もこの付近に住んでみたいとは思わなかった。 その美しさにも、そのさわやかさにもかかわらず----。<そう、だたさまよってみたいだけ>  百人浜は荒野だ。 人の心はそうではないだろうが、とにかく荒野の間に家があり、草があり、花がある。 名も知らぬ花が咲いている次には、赤茶けた土だけがある。 百人浜というのはその昔、南部藩の船がこの沖合いで沈み百人程の武士がこの浜まで泳ぎ着いたが、寒さと飢えのため全員妻子<恋人>の名前を呼びながら死んでいったという哀話からつけられたのだそうだ。 観光地になる前の昔の百人浜はそんな甘いものではなかったのだろう。 現在でも一人この浜に立てば人は何を考えるだろうか。 ああ、立ってみたい一人で。 北海道は日本だ。 しかし、誰が想像したろうか。 この風を。この浜を。
 ”人が感傷におちいる時、人は静的<性的>である。 この言の如くこの文も遅々として進まない。
 ある所でバスが止まった。 黄金道路のすぐソバには船が座礁していた。 霧のためだそうだ。 そう、バスの運転士さんが教えてくれた。 海の水がところどころ濁っている。 波が大きい。 でも働いている人は殆ど海に目も向けない。 やがて他の三人は寝てしまう<大原は腹が減っているとねむれないのです> バスは相変わらず走っている。 北海道の海のほとりを。 バスの中では空気の味を知ることはできない。 このあたりでは風景そのものは殆ど見るべきものはない。 たしかに道路工事は大変だったろう。 それだけの黄金道路だ。 途中何とかの岩(カエル岩-知ってはいるがどうでもいい)や何んとかの滝があったが、ともかくバスは海岸を走り続けて広尾についた。 広尾でOKさんたちのグループとラーメン60円也を食らう。 水島の母校が野球で負けたとさかんにくやしがる。(あたり前なあのになあー) 
 13.00時発の気動車に乗る。 トランプをする。 帯広に着く。 途中下車をする。 途中下車の印は相当な数になる。 水島とパチンコをする。 彼は五十円でイコイを二つとる。 一つもらう。 結局二人で百円でイコイ二つ。
 OKさんに青リンゴを4つもらった。 彼女らの出発を手をふって見送った。 準急狩勝号は札幌へ。 すぐ我らの気動車が出る。 4番線から1番線まで走る。 1番線で出てゆく準急へもう一度手をふる<選挙前の議員なみ> 
 北海道は人なつこい所だ。 昨日のガイドさんはエリモで会ったら座礁した船の話を詳しくしてくれた。 ”じゃお元気で”こういって笑った。 太った、目のきれいな<大原にとってとても印象的でした>人だった。 幌泉の売店の店員は向こうから話しかけてきた。 それらの影響かどうか我々の送迎もひどく御念がいっている。 苫小牧でのそれは最たるものだったろう。
 我々の気動車もすぐ走り出した。 殆んど何もしない間に糠平についた。 列車では男の車掌さんの観光地についての説明があった。 糠平の駅前には番頭さんがお迎えに来ていたが我々は関係なし。 糠平では仙翠閣という所で750円を簡単に500円にしてOK。 北海道初の温泉に入り夕食。散歩して会計報告があって作戦会議があってジュースが出て、公用終り。 <アア疲れた>

                                      今日の地図

旅日記-わが青春の1ページトップへ戻る      北海道のトップへ        前日に戻る         次の日へ