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平岩駅近くの大網峠分岐点から大網宿へ |
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平岩駅から数百メートル歩くと大糸線の踏切と姫川を渡る橋がある。ここを渡ると大網峠越えが始まる。なお、このあたりでは姫川のこちら側は新潟県糸魚川市、橋の向こうは長野県小谷村である。小谷村を歩いてきて一時的に糸魚川に入ったが、また小谷村に戻るということになる |
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大網集落に入る。地図で想像していた姿と違っていて戸惑う
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小谷村の響き |
この千国街道歩きでは、白馬村を出たあと大網峠を越えて糸魚川市に入るまで40数キロも小谷村を歩いたことになる。小谷村との長いお付き合いとなった。
「おたり」の語の響きが実に美しい。平安時代の末期の文献に「於他里」という万葉仮名の表記で初めて登場したといい、その後、鎌倉中期に「小谷」という表記が定着したとされている。「小谷」を「おたり」と読む不思議については、先に「おたり」という音があって、後に漢字があてられたものらしいが、なぜ「おたり」なのかについては、特産だった麻布「麻垂(おたり)」からとか、滝を表す「小滝(おたり)」ではないかなど、いろいろな説があるものの定説はなさそうである。
北アルプスを間近かに眺める豪快な景色と、栂池高原や白馬乗鞍温泉などの大規模なスキー場やリゾート地があり、この塩の道・千国街道の歴史が文化の香りをもたらして、山深い地ではあるが、活力のある村であると感じてきた。だが、北アルプスと頚城山地の高い山々に挟まれた急峻な谷にあり、糸魚川静岡線による不安定な地形、地質で大きな洪水や土砂災害に苦しめられてきた。明治44年の稗田山大崩落についてはすでに書いたし、平成7年の姫川大洪水にも触れた。今回泊まった姫川温泉のヤドのご主人の話によると、姫川の洪水で今回泊った1階の部屋は流されてしまい、あとには1メートルの砂が溜まったという。こうした過激な自然活動ではあるが、ダイナミックでスケールの大きな景観と裏腹なのかもしれない。小谷村には二つの国立公園があるのが自慢で(上信越高原国立公園、中部山岳国立公園)四季を通して観光客も多いという。
ところが、小谷村では自然災害とは別に大きな悩みを抱えていることを知った。今回のスタート地点の大網集落は小谷村にある54集落の一つである。近くの姫川温泉地区と併せて40数世帯の約80人が暮らすという静かな山村である。かつては、千国街道を運ぶ物資の流通によって潤っていた大網だが、時代が変わって牛方やボッカの暮らしがなくなり、林業中心の暮らしとなったようである。明治には、主食の自給自足を目指して、稲作の水を引くための大工事が地元の人たちの手で行われ、「大網堰」が完成したと大網諏訪神社境内の記念碑に記されている。しかし、小谷村全体でも耕作地は3%弱しかなく、農業は成立し難い。さらに、千国街道を歩いていて、近年は観光産業も縮小しているらしい雰囲気を感じたが、それは事実らしい。そんなこともあってか、調べると大網集落は高齢化率が70%を越える限界集落とのことである。衝撃を受ける。限界集落とは住民の50%以上が65歳以上で、共同体としての機能を果たせなくなり、維持が限界に近づいている集落を指す。小谷村全体でも、人口減少が著しくて今は3000人を割り、2040年には1600人になるのではないかと心配されている。村全体が限界集落に近づいているのである。
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大網集落にて |
村では今年、「小谷村人口ビジョン」と「小谷村総合戦略」を策定して必死の努力をしている。新しい仕組みを利用して、大網集落には外部から若い移住者が来て活躍しているという明るいニュースもネットに紹介されている。何とか、努力が実って欲しいと念ずるところである。
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<参考文献>
・小谷村ホームページ http://www.vill.otari.nagano.jp/www/menu.html
・郷津久男:信州過疎村報告、小学館文庫(1999年)
・尾沢健造ほか:北アルプス小谷ものがたり、信濃路(1975年)
・山﨑義則ほか:長野県小谷村伊折集落の存続条件、東京農業大学集報、59(1),2014
・大網・姫川 むらのしるべ http://muranoshirube.com/
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大網諏訪神社 小谷村では神社はすべて諏訪神社とか
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この先を行くと、横川の吊り橋を経て、いよいよ大網峠への登り道であるが、姫川温泉に一泊して、明朝向かう
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