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 旧奥州街道を歩く
旧奥州街道 その14

二本松-福島
  
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区間 宿場間
計算距離
GPS測定値 歩数計 備考
二本松-二本柳 5.00 km 6.46 km 8,831
二本柳-八丁目 4.10 4.39 6,190
八丁目-浅川新町  4.10   4.53   6,189  
浅川新町-清水町 1.40 2.03 2,964
清水町-福島  6.70   7.70   10,661    
 合計 21.40  km  25.11 km  34,835  
日本橋からの累計 278.85 km 307.62 km 438,556 GPS測定値と歩数に、寄り道、
道の間違いによるロス分を含む
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2018年5月
 
 
  
 
 
二本松宿から二本柳、八丁目、浅川新町、清水町を経て福島宿まで
       
二本松駅を降りて旧道に出るとすぐに目に付くのが、提灯祭りの壁画である
  
 
二本松・上本陣通の久保丁坂入口交差点からスタート 老舗の玉嶋屋前である 
 
太鼓屋や提灯屋のあるレトロな街並みが続く
  
  
  
  
  
亀谷坂
 
 
   
  
  
 
   
  
  
 
亀谷観音堂  芭蕉の句碑がある
「人も見ぬ 春や鏡の うらの梅」
  
  
 
 
相変わらず、二十三夜塔が多い
前回の「奥州街道の野仏たち」を参照されたい

  

 
20歳になった幸田露伴は文学を志して北海道余市から上京の旅に出た。福島に着いた露伴は汽車賃不足のため、郡山まで歩くことにして飲まず食わずで、夜半にここ二本松まで来た。町は提灯祭りでにぎわっていたが、この道に倒れこんで、こうもり傘で野宿。そのときの句が  「里遠し いざ露と寝ん 草まくら」 である。
2年後、文壇に初登場したとき、二本松で露を伴にした一夜を忘れられず、ペンネームを「露伴」と決めたという
 
 
電柱のないモダンな街にあるモダンな酒蔵。1752年創業の大七酒造である。
福島での夕食でこの二本松の銘酒「大七」を楽しんだ。美味であった
 
 
 
 
  
  
 
   
  
  
 
   
  
  
 
 
 
高村智恵子の生家  造り酒屋である
  
  
 
 
カメラが故障 ピンチ!
 二本松をスタートして間もないのに、智恵子の生家の前でカメラトラブルを起こしてしまった。愛用のα6000がコントロール不能に陥ったのだ。オートフォーカスが効かないことで気づいたが、メニューボタンなど一切が動かず、リセットもできない。シャッターだけは切れるのだが、再生ができないために保存できたかどうかすらわからない。これでは使いものにならない。

 いつもは念のために、小型のセカンドカメラを持つのだが、今回は荷物を軽くするために、スマホをバックアップカメラとして使うことにした。しかし、スマホのカメラは使いにくいうえに結果も心許ない。慌てて小型カメラを買うことにしたのだが、そんな店が旧街道沿いにあるはずもない。途中、大きなホームセンターの前を通ったので、立ち寄って聞いてみたが、カメラ売り場は当然ない。露出もピントも調整できないものの、画像だけは保存されていることを念じつつ、手負いの
α6000とスマホのカメラで福島までつなぐしかない、と覚悟した。

 旧東海道のころから、旧街道歩きでは軽量なコンパクトカメラを使っていたが、素晴らしい景色との遭遇、味わい深い街道の暮らしや文化に触れて、だんだん欲張って重い一眼レフカメラと、さらに交換レンズまで持ち歩くようになった。しかし、齢を重ねてまさに重荷になってきて、飛びついたのが軽量のミラーレスカメラである。本体と交換レンズを1,2本を持っても、一眼レフカメラの交換レンズ一本よりも軽くて済むのである。ストラップもボロボロになるほど数年間酷使したので故障も当然かもしれない。

 この日の夕刻、福島宿に到着してヤドに入る前、ザックを担いだまま街のカメラ店を探したが見つからない。DPE屋さんで聞くと、福島の街なかにはカメラ店も家電量販店もないという。歩いて行くには遠すぎるが、郊外にヤマダ電機があるとのことで、急遽、タクシーで駆けつけた。途中、長いトンネルを通ったが、あとで調べたところ、福島市のシンボルとして有名な信夫山をくぐったのだった。やっと、小型のコンパクトカメラを入手できた。とりあえず、ひと安心である。

 というわけで、この日の写真は故障した
α6000とスマホによるものである。WEB用に解像度を大幅に落とした画像だが、違いが判るだろうか。

    
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
   
   
 

 
   
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
  
  
 
 松川の東北本線踏切  この先約2キロで、昭和24年の松川事件が起きた。
この踏切の手前を歩いているとき、乗用車を止めてわざわざ車を降りて声をかけてくれた地元の方が教えてくれた。
そのとき小学生だったその人は、事件後毎日、現場を見に行ったそうだ。
そのとき新聞に出ていた悲惨な写真を今も覚えている
 
 
 
  
  
  
 
  
  
  
    
手前の荒川(旧須川)が、奥の阿武隈川に合流して、左方向に流れて行く
  
  
  
御倉邸  福島藩、米沢藩、会津藩などの米蔵の跡である 
  御倉邸内部 
 
  
  
  
   
阿武隈川に下りる 
     
  
阿武隈川が、北上川につながっていた!
 阿武隈川は白河の田町大橋で渡った。その後、ときどき水面が見えることはあったものの、ほとんどは若干の距離を置いて平行していたようである。福島にきてしっかりと接触した。福島城跡である福島県庁の近くの阿武隈川に「福島河岸」跡がある。近くの、御倉邸と呼ばれる旧日本銀行福島支店長役宅は江戸時代には福島藩、米沢藩、会津藩の米蔵の跡であるが、その年貢米や産物は福島河岸で積み込んで、阿武隈川河口の荒浜で外洋船に積み替えて江戸まで回漕した。米沢藩は羽州街道経由で、この福島河岸や桑折河岸からこの阿武隈川水運を利用して江戸に送ったようだ。この福島より上流は船を使うことができず、ここ福島河岸が阿武隈川水運の起点であった。したがって南の二本松藩などでは、米は奥州街道を南に向かい、氏家に近い阿久津河岸から鬼怒川水運で江戸に向かったとされる。この福島と河口の荒浜の間でも、宮城県境に近い梁川河岸から下ると川幅が狭くなり、最大の難所「猿跳」は水路の開発に大変な努力が必要だったという。

 年貢米は阿武隈川を経て、荒浜から南へ、太平洋上を江戸に向かったが、荒浜から逆に仙台方向へ北上するには、太平洋上を行くほか、海岸に平行して人工の内水路があったという。驚くべきことである。伊達政宗による仙台城と城下町建設の資材を運ぶための、阿武隈川、名取川間の「木挽堀」開削に始まった「貞山運河(貞山堀)」である。仙台で小学校時代を過ごしたから、貞山堀の名は知っていたが、壮大な運河だったことまでは知らなかった。
貞山運河
貞山運河研究所ホームページによる http://teizan-canal.com/teizancanal/gaiyou/
荒浜から松島湾へ、さらに明治初期の野蒜築港大プロジェクトによる「東名運河」と、北上川河口につながる「北上運河」が建設されて、福島から盛岡まで内水路でつながったというのである。阿武隈川河口から北上川河口まで全長60キロメートルの日本最大の運河だそうだ。一時は蒸気船が就航したことがあったらしい。しかし、当時の日本鉄道、現在の東北本線となる鉄道の開通と台風被害や土砂の堆積で、この水運は短時間で使命を終えてしまったそうだ。今も、かなりの部分では堀が健在で、ほかの目的に使われているらしいが。

 旧街道を歩き始めてから、街道だけでなく、河川や海上を使った水運に興味を持つようになった。最大の関心事は北前船であり、地域の文化が北前船によって運ばれた証が、いろいろな形で膨大に残されていることに感銘を受けた。旧北国街道・旧北陸道で何度も紹介した通りである。さらに、丸子舟による琵琶湖水運、そして旧奥州街道でも利根川、江戸川などによる関東平野の水運、「利根川の東遷」などを見てきて、幕府にとって、物流のための水運開発・確保が洪水防止などの防災対策よりもはるかに重要な施策であったことを知った。琵琶湖水運に関連して、かつて、いや最近まで、日本海と太平洋を結ぶ大運河の計画があったことを知って驚いたこともあった。この阿武隈川と北上川を結ぶ水運も、スケールの大きなロマンあふれる計画であったはずだが、時代の大きな変化に邪魔されたようである。
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<参考文献>
 ・福島県教育委員会:歴史の道調査報告書 奥州道中、福島県教育委員会(1983年)
 ・福島県の歴史、山川出版社(1997年)
 ・児玉幸多:日本交通史、吉川弘文館(1992年)
 ・谷 弘:千石船の湊を訪ねて、芸立出版(2011年)
 ・貞山運河
研究会ホームページ http://teizan-canal.com/teizancanal/gaiyou/
  
  
  
 
福島河岸跡
  
  
 
   
  
  
 
   
  
  
 
 福島宿本陣跡   本日の終点である
 

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