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 旧奥州街道を歩く
旧奥州街道 その11

白河-矢吹-笠石
  
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区間 宿場間
計算距離
GPS測定値 歩数計 備考
白河-根田 3.90 km 3.51 km 4,894
根田-小田川 3.90 3.13 4,453
小田川-太田川  1.30   1.93   2,771  
太田川-踏瀬 2.60 2.58 3,731
 踏瀬-大和久 3.60   2.46    3,504    
大和久-中畑新田  0.90   1.23    1,885    
中畑新田-矢吹  2.00    1.15    1,663    
矢吹-久来石  2.60    2.70    3,772    
 久来石-笠石 1.30    3.03    4,184   笠石は鏡石駅入口交差点とした 
 合計 22.10  km  21.72 km  30,855  
日本橋からの累計 216.75 km 236.97 km 335,467 GPS測定値と歩数に、寄り道、
道の間違いによるロス分を含む
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2017年4月
  
 
 那須岳。 ここから阿武隈川が始まる。白河宿での出会いから、太平洋に注ぐ宮城県の荒浜近くの岩沼宿までの長いおつき合いである
  
 
白河城(小峰城)。 戊辰戦争の白河口の戦いで始まった会津戦争はこの小峰城の落城で奥州勢は劣勢に陥る
 
 
白河から奥州街道(仙台・松前道)を北へ、矢吹宿を経て笠石まで
       
 
 
白河以北の奥州街道
<奥州道中と奥州街道>
  3年前に、旧奥州道中を白河まで歩き終えていた。白河までが幕府が設定した「五街道」のひとつで正式な名称は「奥州道中」であった。その白河から北は、幕府ではなく各藩が管理する街道で、一般的には「奥州街道」と呼ばれているが、様々な呼び方があったようで、青森の三厩を経て蝦夷の松前までつながるので「仙台・松前道」と呼ぶことがある。また、どこへ行く道か、という意味で、部分的に「仙台道」、「南部道」などと呼ぶこともあったようだ。現代の地図を見ると、東京から北上する国道4号線を「奥州街道」とか「陸羽街道」と称している。明治6年(1873年)に、奥州街道は陸羽街道と呼ばれることになったからだろうがややこしい。いずれにしても、現在の国道4号線は旧奥州街道の近くを通っているものの、旧街道とはほとんど別ルートで、若干重なっているところがある程度である。

<阿武隈川>
 この旧奥州街道の白河からしばらくの間、阿武隈川とつかず離れずに北上する。那須岳の甲子旭岳に源を発するこの川は、街道の途中からは実に穏やかな流れに見えるが、暴れ川とのことでたびたびの水害を起こしていたという。全長約239キロの大きな川であるまた、この阿武隈川を利用して、現在の福島市から岩手県の盛岡あたりまで舟運が行われていたということも驚きである。荒浜で太平洋に出る直前から北上する貞山堀、松島湾、北上運河を通って、北上川に通じていたというのである。これまでも、旧街道に縁のある利根川の舟運、琵琶湖の舟運などをみてきたので、この阿武隈川舟運も、いずれ、もう少し書きたいと思う。

<寒村だった?郡山>
 さて、福島県は、浜通り、中通り、会津の三つの地域に分けられる。それぞれ、江戸のころの磐城、岩代、会津にほぼ相当するようだ。この3地域が自然や文化の区分でもあるという。その違いは大いに興味深いところであるが、旧奥州街道が縦断するのは、中通り地方だけであるから、歩きながら他の地域と比較することは難しそうである。小学生のころ夏休みに仙台から東京に往復したときの車窓からの眺めは奥州街道周辺だったはずで、今も印象に残る大きな町は、福島、郡山、宇都宮、特に郡山であった。今回、たまたま目にした地元の新聞には「陸の港として栄える商都、郡山」と書かれていたし、郡山は、磐越西線、磐越東線、水郡線などの交通の要衝で、人口では福島市を上回る大都会である。しかし、江戸のころから大きい町だったのではなく、静かな一宿場に過ぎなかったらしい。いくつかの街道の分岐点にあったが、宿場として郡山はさほど目立つ存在ではなかったようだ。当時から羽州街道との分岐点で、舟運の起点でもあった福島宿や、会津への街道の分岐点であった白河宿の方が賑やかだったのだろう。この郡山が大きく発展したのは、実は、猪苗代湖から水を引いて作った安積疎水による安積原野の開拓や東北本線などの鉄道が開通してからの、明治期だったという。

<会津のパワー>
 江戸期、奥州街道に次ぐ幹線は奥州街道の福島宿に近い桑折(こおり)宿から、山形、新庄、秋田を経て青森に向かう羽州街道であったが、会津藩の城下、若松を中心には網の目のように街道がめぐらされていて、特に放射状に伸びた街道として「会津五街道」が、当時は「本道五筋」と呼ばれて大いに活用されていたという。その会津五街道のうち「白河街道」と「二本松街道」は奥州街道と結ばれていたし、日光街道の今市と結ぶ「会津西街道(南山通り)」や、米沢を結び、途中の大内宿が有名な「米沢街道」、そして越後への「越後街道」もその五筋である。すべての道は会津に通ず、といったところであろうか。存在感のある会津藩である。

<参考文献>
 ・福島県教育委員会:歴史の道調査報告書 奥州道中、福島県教育委員会(1983年)
 ・岸井良衞:五街道細見、青蛙房(1959年)
 ・奥州街道 歴史探訪 全宿場ガイド,無明舎出版(2002年)
 ・渡辺信夫:東北の街道、(社)東北建設協会・無明舎出版(1998年)
 ・安在邦夫ほか:街道の日本史 会津諸街道と奥州道中、吉川弘文館(2002年)
 ・県史7 福島県の歴史、山川出版社(1997年)

 
 
 
 
 
白河宿から五街道の終点「仙台藩戊辰戦没之碑」に向かう途中での、阿武隈川との初の出会い
白河の次の根田宿 静かな家並みが続くが 宿場の雰囲気は造り酒屋(この右)などにしかない
大谷石の建物は久しぶりである
野仏群があちこちにある。  庚申塔(中央左) 二十三夜塔(月待塔 右) 六地蔵(中央右)など 
 
 
 
 
のどかな農村を行く 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太田川宿と踏瀬宿の間の「新池」 ここに着く前、大きく道を間違えた(mapに説明) 
    
  
  
 
まだ春は浅く、桜のつぼみは固く、梅が見ごろであった 
   
踏瀬宿 慈眼寺のしだれ桜 咲いたら見事だろう
 慈眼寺の桜風景はこちら 
 
 
旧奥州街道松並木が残る  白河藩主松平定信による並木とされる
   
 格子のある店
 
格子のある民家    決して多くはないがときどき見かける
 
 
 
 
 
白河を出ると、のどかな田園風景と、のどかで静かな家並みの旅となった 

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