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ゆっくり・きょろきょろ東海道を歩く
その20

土山宿-水口宿-石部宿-草津宿
  
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区間 五十三次距離表 カシミール 歩数計 備考
土山宿-水口宿 10.6 km 11.2 km 15,542 土山宿:・・・・大黒屋本陣跡  水口宿・・・水口元町本陣前
水口宿-石部宿 13.7 13.0 18,580 石部宿・・・石部中央交叉点
石部宿-草津宿 11.8 11.1 15,459 草津宿・・・中仙道追分
合計 36.1 km 35.3 km 49,581
日本橋からの累計 441.7 km 465.5 km 657,440
2007年3月

      
土山宿から水口宿、そして石部宿を経て草津宿へ


 
 
東海道を下る文化,上る文化

その2 つし二階建てはどこの生まれか
 次に気になるのは、またまた例の「つし二階建て」である。
鈴鹿峠を越えて、土山宿や水口宿でも美しい塗籠め連子格子窓や虫籠窓を持つ二階建てが続く。 実にさまざまな形や色で飾られていて美しく、見飽きることがない。

 大名行列を見下ろしてはならぬということで、二階建てが原則として禁じられたことから生まれた中二階建てであると聞いたが、とするとこれは江戸時代になって生まれた形式ということになるが、そうなのか。 京都の伝統的町家にも、古い町並みを残す奈良市奈良町にもこのつし二階建てがあることを、先に見てきた。 だから、もっと古い時代にもあったのではないか、と疑問に思ったのである。 

 もともと町家は軒が低く、現代の二階建てのように高々した建物は少なかったようだ。 あるいは、漆喰で塗籠めた二階壁を持つ二階建てという形式はもともとあったが、ご禁制によって背を縮めたということだろうか。

 付け焼刃の勉強ではどうにもならないが、ちょっとだけ調べたところ、京都のあの、うなぎの寝床的な伝統的町家の原形は江戸時代の中期に形成されて、その後変化を続けて、大正末期から昭和初期に完成したとのこと。 だから、徳川幕府の影響を受けた形であったとしても不思議はないわけだ。 江戸から上って行った文化という表現はふさわしくないかもしれないが、江戸の影響は間違いなさそうである。

 つし二階建てが、どこで発祥したかを知らない。 やはり京都だろうか。 ひょっとすると西の文化と東の文化の融合による傑作ではないのか。  西と東の文化がぶつかって東海道のどこかの宿場で生まれた、などということがあったら実にすばらしいのだが。 専門家の研究があるのではないか。 知りたいものだ。


  水口宿へ
 朝7時に出発した。好天と思ったが、まもなく雪がちらつき始めた。 白川橋を渡るときに持参の温度計を見たら1℃であった 寒い。 茶畑と街道の家並みの共存が美しい。 そして、ベンガラ塗りが登場した。 京の雅が近づいたのであろう。 その後、水口から先に次々にベンガラが登場して、ますます東海道の色彩が豊富になった。

 水口宿にも伝統的な家並みが続いて心がときめく。 水口の中心街では東海道に3ルートがあるので、これらを行き来しながらシャッターを切り続けた。 なんとここにも、屋根つき東海道があった。 つし二階建てをアーケードに収めるのに苦心惨憺した様子が見て取れるが、外観が台無しで気の毒である。 もう蓋をはずす時代ではないだろうか
   
 



古建築にいう蟇股(かえるまた)ではないだろうか。 
この曲線は鎌倉時代の特色と、入門講話に書いてあるのだが
西に向かうとき、水口宿の中心からの出口にあたるところである。 3本の道がここで合流する。 まん中の道を歩いてきた これが、水口宿にある屋根つきの東海道である。 アーケードの高い屋根との間を苦心してトタン板でふさいであるのだが、ぶざまである
銭湯前にて
野洲川。 この先が琵琶湖である。 ここにかつて横田の渡しがあった。 遠くに見えるのは比叡山らしい
モダン建築そのものである。 煙出し櫓がここにも載っている。 民家の形に重みをつける大きな要素であることを今回の旅で実感した。 豊かさの表現かもしれない ベンガラと無塗装の板との不思議な組み合わせに見える。 これと同様の色使いの塀が他にもあったから、デザインパターンのひとつなのだろうか


 

  
横田川を渡り、石部が近づくと平野になり、そこここで天井川を越えるトンネルくぐる。 
水口の柏木公民館前にあるカラクリである。 たまたま声をかけて下さった方に教えてもらった。 左の櫓の扉を開けると自動的に中のカラクリが動き始める。 街道沿いでかんぴょうをむいて干しているところである。 水口はかんぴょうが名物で、広重の保永堂版水口はこのカラクリの風景である。 東海道歩きの方は、ぜひこのカラクリを見逃さないように 広重の保永堂版水口

石部宿から草津宿へ

石部宿あたりから三上山が見えてくる 新幹線の車窓から見える独特の形を反対側から見る
三上山


菜飯田楽発祥の地の元伊勢屋を描いたという保永堂版の広重、石部の図である。 もうすぐ草津、琵琶湖である
「桁外れの堂々たる建物」という、旧和中散本舗


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