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ゆっくり・きょろきょろ東海道を歩く
その12

舞阪宿-新居宿-白須賀宿
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区間 五十三次距離表 カシミール 歩数計 備考
舞阪宿-新居宿 5.9 km 6.5 km 7,712 舞阪宿:舞阪駅入口
新居宿-白須賀宿 6.6 6.6 18,509
合計 12.5 km 13.1 km 26,221
日本橋からの累計 277.4 km 287.2 km 438,748
2007年1月

  

  
 舞阪から再出発である。 いよいよ遠くなった上に、この季節、日本海の雪雲が入り込むことの多い東海地方に差し掛かったため、天候面での不安もあってなかなか機会をつかめなかった。 だが、やっと絶好日を見つけた。  途中、美しい富士が見送ってくれた。
 
東海道を歩いている人の数はどのくらい?
   
 後の話になるが、今回の二日目の夕方、岡崎の市街に入る前の乙川の土手で、京都からという一人旅の女性から声をかけられた。 東海道を西から順番というわけではなく、都合に合わせて西から、東から、とつないでいるのだそうだ。 今日は東に向かって藤川宿までとのこと。 

 昔から、女性の東海道紀行もたくさんある。 平安から鎌倉時代には、有名な「更級日記」や「十六夜日記」の前半、「とはずがたり」など、江戸時代に入って「東海紀行」、「帰家日記」、「庚子道の記」、「奥の荒海」の一部などで、どれも和歌を詠じたり古典を引用する知識の広さに驚くという。(森川昭:東海道五十三次、三省堂 153頁) いずれかを多少なりとも読んでみたいものである。

 江戸時代に、ある外国人が、この街道には信じられないほどの数の人が歩いている、と書いているが、研究者によると江戸中期以降の東海道の一般旅行者は年間で約7万から10万人という。 一通過点での人数は1日に300人弱、参勤交代を加えても約420人という。 意外に少ないように思う。 留女(トメオンナ)が必死に客の袖を引く広重の宿場風景でも、たしかにごった返しているわけではないが、もう少々賑やかに見えるのだが。 一方、江戸時代に約60年周期で起こったという伊勢参りの大ブームでは、全国から360万人(1705年)、500万人(1830年)というすごい数の人たちが数ヶ月間に繰り出したという。 「おかげまいり」である。(同上 141頁) こんな時にはおそらく東海道もごった返したのだろう。

 時代が変わって、 この日、旧東海道を歩いていると思われる人とは京都の彼女を含めて、5人ほどすれ違っただけである。 上り下りで倍とすれば一通過点あたりで10人である。 週末だからか、これでもやや多い感じがする。 そもそも現在、旧東海道を全区間歩こうとしている人はどのくらいいるのだろう。 上記の比から乱暴に推算すると、旅人の数として年間 2,400人ぐらいと出るのだが、どうだろう。 今、新幹線の一日の乗客数が 37万5千人という。 弥次さん,喜多さんが聞いたら腰を抜かすことだろう。


 舞阪から、先ず、白須賀に向けて歩き始めた。 立派な松並木を抜けると舞阪宿の中心である。
  


舞阪から新居へ

 
 すでに前回書いたが、当時、舞阪宿からは新居関まで一里を船で渡った。 1489年の大地震、高潮によって砂洲が切れて、浜名湖と遠州灘がつながってしまい、道路も消えたからである。 今は弁天島を経由して橋でつながっている。 新幹線、東海道線、国道が並んでいるおなじみのところである。 橋からのぞくと、潮がかなりの速さで浜名湖に上っていた。 

 新居宿に入る前に、新居の関所がある。 女改めによる出女の検閲が厳しくて、これを嫌って浜名湖の北をまわる姫街道を通る女性も多かったらしい。  

 左の橋が今切口を渡る浜名バイパスの浜名大橋で、その先が遠州灘である。 右上の沖に弁天様の赤い鳥居が見えている。 この水面を下の広重の絵のように、新居関に向かう船が渡った。 
 絵の右奥が新居関で、その構内に船が入った。 白い幔幕の船は大名の一行、手前の船は中間たちが乗っている。
             保永堂版の新居(荒井)

   
広重の新居(荒井) 左:行書版  右:隷書版


新居関


白須賀宿へ

   
 白須賀宿は、もともと海岸にあったが、地震と津波(1707年)で流され、台地の上に移転した。 この海岸の旧宿場あたりを今、本白須賀と呼ぶ。 台地へ登る坂が汐見阪で、西から下ってきた時、初めて富士山と遠州灘の大洋を見ることが出来て、旅人が喜んだところという。 残念ながら今回、富士山は見えなかった。 
 台地に上がって、宿場は津波の心配がなくなったが、高台で風が強く、今度は、たびたびの大火事に悩まされたという。
本白須賀


汐見坂。 左から登ってきたが、まだ背中方向に登りが続く
前方に遠州灘
が見える


移動後の白須賀宿
 

 保永堂版:白須賀 汐見坂を大名行列が下ってゆく

  


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