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ゆっくり・きょろきょろ東海道を歩く
その11

袋井宿-見附宿-浜松宿-舞阪宿
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区間 五十三次距離表 カシミール 歩数計 備考
袋井宿-見附宿 5.9 km 6.9 km 10,649 袋井宿:中央町・静橋北交叉点
見附宿-浜松宿 16.5 15.4 20,216
浜松宿-舞阪宿 11.1 10.3 16,026 舞阪宿:舞阪駅入口
合計 33.5 km 32.6 km 46,891
日本橋からの累計 264.9 km 274.1 km 412,527
2006年11月


実に美しい道である

 まっすぐな道は退屈で疲れると書いた。 しかし、この旧東海道は実に変化に富んで、実に美しい道である。 太平洋に富士山。 みかん山や茶畑。 清らかな川。 うっそうとした木立の峠道。 苔むした石畳。 見事な松並木。 よく保存されたふるい家並み.。 美しい生垣。 そして、ピアスのお兄さんまで挨拶してくれるやさしくて善意にあふれた人たち。 絵巻を次々に拡げて見入っている心地である。 開国後、この道を歩いた外国人から多くの東海道ファンが生まれたという。 そうだろう。
 
 袋井を朝6時半に出る。出発地点の交叉点は、ちょうど昇ってきた太陽がまぶしい
 三ヶ野橋で太田川を渡り、松並木を行くと、木立の中で三つの道に分かれる。江戸の道、明治の道、大正の道である。鎌倉の道もあるらしい。 朝の道は清々しく、気持ちよい。 危ぶまれた天気も何とかもちそうである。



  
   

  

見附(磐田)は、京都から来て初めて富士山が見えた(見ツケた)ことから名づけられた、という説もあるそうだが・・・。日本で現存では最古の木造小学校の建物であるという「見附学校」がひときわ目立っている。
ここから姫街道が分かれる。 新居の関の、「女改め」を嫌った女性たちが通ったという、浜名湖の北を迂回する道である。 御油で東海道に合流する。 浜松宿からも姫街道に通じているようである。

   
 

平成の難所がめでたく解消
 見附を出ると天竜川である。「天竜川橋」には歩道がないので注意、とガイドブックにある。 東海道ウォークの先輩のWEBページにも、「平成の難所」と書かれていたり、危険を避けてここだけ路線バスを使った、という記載もあって心配した。 たしかに、歩くスペースは殆んどなさそうだし車の量も多い。 ところが、すぐ隣に真新しい橋が出来つつあり、立派な、幅広の歩道も見えている。 どうやら、車道はまだ半分未完成だが、歩道は通れるようだ。 迷わず、こちらを通ることにする。 

 地図を見て混乱した。 「新天竜川橋」はかなり以前からあって、真新しくはなさそうである。 そうすると、今渡っている橋は「新天竜川橋」ではないのか。 新しい歩道を歩き始めてしばらくしてから気付いた。 車道の陰になってよく見えない上流側に、どうやらもう一本の橋があるようだ。 上り方向に向かって走っている車の屋根が見える。 後で調べたところ、今回渡った真新しい橋は、「新新天竜川橋」なる仮称で、下流の「()天竜川橋」(下の写真。昔の1号線、現在県道) と上流の「天竜川橋」(1号線)の間に作られた3番目の橋らしい。 2006年10月に開通したばかりという。 「」にも「」にもなかった歩道が、「新新」でやっと作られて、めでたく平成の難所が解消したということのようだ。

 この天竜川もかなり川幅が広い。 橋の長さでは大井川の1026m、約15分には及ばないが、919mもある。 水がきれいでたいへん気持が良い。 それに、幅が広くて立派な歩道は、とうとう最後まで歩いている人や自転車を見かけることがなかった。 大きな美しい天竜川を独り占めである。


 橋を渡ると、旧道がどこなのか分からなくなることが多い。 地図を見てもはっきりしない。 ここでもそうであった。 土手の上から眺めて、古い町並みが続いていそうな、松並木がありそうなところを探した。 
 探した道のうなぎ屋さんの前で、かわいい女の子が掃除のお手伝いの手を休めて、とても丁寧に挨拶してくれた。 うれしかった。 ありがとう。 このお店を覚えておこう。


 広重の描いた浜松の宿には、遠くに浜松城が見えている。 その付近と思われるところに歩道橋があったので登ってみたが、屋根とビルの壁だけであった。 国道の先に超高層ビルがそびえている。 

 ちょうど昼時になったので、あらかじめ調べておいた、浜松駅近くのうなぎ屋さんを探してうな重を味わった。 大変おいしかった。 だが、期待に反して、元気百倍とはいかなかった。 汗が身体を冷やして調子を崩しそうだった。 この大都会は、街道の面影が薄くて、本陣跡などを示す看板が出ている程度だし、街の喧騒にもたじろいだが、ここでやめるわけには行かないと思い直して先を急いだ。 

 舞阪まで、魔の直線道路となった。 美しい家々と美しい庭が慰め、楽しませてくれたのだが。
 






  このあたりは、手入れの行き届いた立派な庭が多い。
  見事である。
 
  庭木も生垣もマキ(槇)の木が非常に多いように思う。
  写真で松のように見えるが、実は槇である。

  
 舞阪が今回のゴールである。 日本橋から265kmだ。
左の写真の、松並木の先が舞阪宿の中心であり、新居宿・新居関に向けての船着場があったところである。
 すなわち、いよいよ浜名湖である。 今は、弁天島経由の道路を行くことになるが、実は昔も舞阪から新居までは砂洲が続いていて東海道がそこを通っていたのだそうだ。 しかし、1498年の大地震、高潮によって砂洲が切れて(今切と呼ぶ)、約一里の海上を船で渡るようになったとのこと。
 もともと浜名湖は淡水湖だったのが、そのときの地震で外海とつながって汽水湖となったという。 浜名湖が楽しみである。


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