JunTac高原鉄道 建設記 (1) 高原鉄道駅前に商店街が出現! 高原鉄道建設記 (2) へ 段々畑に菜の花が咲きました! 高原鉄道建設記 (3)へ |
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建設再開の高原鉄道に初雪が積もりました |
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この鉄道は20数年前に建設工事が中断され、同時にその時すでに部分開業していた路線も廃線となっていたものです。 国鉄も私鉄も路線が次々と廃線となる時代でしたが、本鉄道も、はやばやと経営不振に陥ったのです。 原因は、経営後継者の人材難でした。 それから20数年を経て、周辺から鉄道再開を望む声が高まってきました。 そして、本鉄道を継ぐ経営者出現の気配が感じられて、ついに建設再開を決めたのです。 まるで埋まっていた遺跡のようにひどい荒れ様でした。 曲がったり錆びたレールなどは新品に取替え、鉄橋の橋桁や橋脚も更新しました。 山には新たにトンネルを掘り、(いや、本当は、トンネルを作ってから山を構築したのですが)、土手の緑化工事も進めました。 そして、戦前からのデザインで、改札口も木製だった高原駅は築20年ですが、その駅舎の手入れをして試運転列車を乗り入れた頃、りょうヶ岳に雪が降りました。 ふもとの棚田も真っ白です。 なんということをいうのか。 この鉄道は昭和30年代の鉄道だから、新幹線はまだないのじゃ。 といっても聞きません。 まあいいか、在来線に乗り入れた山形新幹線も秋田新幹線も似たようなものだ、と妥協して、急遽、変更しました。 しかし、大工事が必要です。 1.新幹線が乗り入れるために、線路のカーブを新幹線規格に合わせてもっとゆるくする必要があり、せっかく完成したばかりの山の西側地区では、もう一度土木工事からやり直さなければなりませんでした。 当然、線路も敷設し直す大工事になってしまいました。 これで新幹線が丘の上を高速で走れるようになりました。 ただし、土手下の高原駅はローカル線仕様ですので、新幹線車両は進入できません。 2.新幹線を高速運転をするために、直線のバイパス区間を新設しました。 碓氷峠のように急勾配です。 この新線のために、新たに土地を造成し、山を削り、落石防止のための防護トンネルも新設しました。 3.新幹線車両は時速300kmで山陽新幹線を走っているスマートな500系を導入しました。 もともとは、C50やC62の蒸気機関車、懐かしいEF57などの電気機関車、そして、貧乏旅行で大変お世話になったディーゼルカーが似合う風景になるはずなのですが、意外にも、高速で走る7両編成の500系も、ゆるやかな山や丘、古ぼけた駅舎、そして、ひどく汚れたコンクリート橋など、この沿線ののどかな田園風景に似合うことに気が付きました。 登山口駅は小さい駅ですが、そこからは九十九折(実際には2,3ヶ所のヘアピンカーブで足りてしまいそうですが)の登山バス道を切り開いて、その先の登山道も整備しなければなりません。 ですから、完成はずっとずっと先で、恐らく7年か8年後でしょう。 そのころまでには、後継者が育っていてくれることを願っています。 建設工事がもう少し進んだら、またご報告します。
このページtopへ戻る 高原鉄道駅前に商店街が出現! 高原鉄道建設記 (2) へ 段々畑に菜の花が咲きました! 高原鉄道建設記 (3)へ ご覧いただきありがとうございました 2004年10月30日 |