甲斐は関東 ? それとも 中部 ? |
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| テレビの天気予報で、山梨県は「関東甲信越」として、あるいは「関東甲信」や「関東」として出てくる。ところが、小学校時代、山梨県は静岡県、長野県や愛知県と同じ「中部地方」であると習った記憶がある。山梨県は関東地方なのか、中部地方なのか、いったいどうなっているのだろう。 先の衆議院議員の比例代表選挙では山梨県は神奈川県や千葉県と同じ南関東ブロックであったし、スポーツの世界では、選抜高校野球でも山梨県は関東地区にあり、また山梨学院大学が活躍する箱根駅伝は関東学生陸上競技連盟の主催である。電気は中部電力ではなく東京電力である、等々、生活の面では、名古屋よりも明らかに東京との結びつきが強いように思われる。首都圏整備法とその関係政令で、首都圏とは1都6県と山梨県と定められているから、実質的には関東地方に入っているといってよいのではないだろうか。とすると、中部地方に分類されるのは地理面だけということだろうか。 その山梨県、甲斐の国は、甲府盆地を中心として山に囲まれたひとつの地域と思っていたが、実はそうではなく、大菩薩連嶺と御坂山地が連なる線で東西、二つの地域に分けられ、東側を「郡内」、西側を「国中」と呼んでいたという。今、歩いている「郡内」は、天気予報では「東部・富士五湖」と呼ばれている。大月、都留、富士吉田などの町がある。この郡内では、水は山中湖から桂川・相模川へ、また北部の山地からは多摩川へと流れている。だから、相模や武蔵との縁が強いようだ。一方、「国中」は甲府をはじめ、韮崎などが含まれる。この国中では、水は、笛吹川や釜無川を経て、富士川へ流れるので駿河と近い関係にあるという。この水系の違い、相模や武蔵に流れるのか、駿河に流れるのか、によって生活文化が異なる領域をつくってきたようだ。例の「まぶしい」の方言、「ヒドロシイ」は駿河湾から山梨全般に広がっていて、甲斐と駿河の結びつきを強く感じさせてくれたが、もう少し詳しく、別の切り口でみると、東の郡内は関東の方言「べー」ことばに属し、西の国中はナヤシ方言(長野、山梨、静岡)と呼ぶ東海・東山地域の「ズ、ズラ、ツラ」ことばであるという。この両地域にはこうした文化の違いがあって、実はその境界が「関東」と「中部」の境目である、ともいわれているようだ。法律で関東だ、首都圏だと決めても、文化の面ではそういう簡単な話ではない、ということだろう。 もう少し調べてみると、この二つの地域はさらにいくつかに分けられて、それぞれは自然環境面だけでなく生活文化の面でも特徴があるという。例えば、西部の国中は、甲府盆地一帯と富士川流域の河谷地帯とにわけられるそうだ。富士川一帯は河内と呼ばれていたという。戦国時代の領有関係からくる多彩な歴史にも彩られているようだ。 水系によって、地形によって文化が異なる原因は、古代からの交通手段、輸送手段に深くかかわっていたからだが、これまでの旧街道歩きで、それを考える際のキーワードが「塩」であり、その運搬経路や、内陸での「水運、舟運」がカギを握っていることも知った。今回も、甲斐でどうだったのか、この旧甲州街道との関わりはどうであったのか、など歩きながら調べてみたいと思う。 ------------------------------- <参考文献> ・飯田文弥ほか:山梨県の歴史、山川出版社 ・萩原三雄:山梨県謎解き散歩、新人物文庫 ・「まぶしい」塩の道と文化の十字路、(「ゆっくり・きょろきょろ 旧中山道を歩く」より) http://www.masupage.com/nakasendo/omou/bunkanojujiro.html ・江戸を支えた川の路、(「ゆっくり・きょろきょろ 旧日光道中を歩く」より) http://www.masupage.com/nikko-osyudo/omou/kawanomichi.html |