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  旧甲州道中を歩く  
旧甲州道中 その

日野-八王子-駒木野-小仏
  
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区間 宿場間
里程換算
GPS測定値 歩数計 備考
日野-八王子横山宿 6.96 km 6.95 km 9,724 GPSと歩数の日野は、日野駅前
八王子横山宿-駒木野宿 6.87 7.74 10,569 八王子横山は八幡町交叉点前
駒木野宿-小仏宿 2.94   3.68    5,162   GPSと歩数の小仏は、小仏バス停まで
合計 16.77 km 18.37 km 25,455
日本橋からの累計 54.96 km 67.44 km 88,787 GPS測定値と歩数は、寄り道、道の間違いロス分を含む
 
2015年1月
 
 


 
   
   
   
 日野から、八王子、駒木野を経て小仏へ
 日野駅ガード前から出発 
    
国鉄中央東線
 旧道がJR日野駅の線路で分断されているから、駅の真下にあるガードをくぐるのがルートである。今回はそこからスタートした。この辺りから旧甲州街道は、急勾配を避けて線路が大きく迂回する勝沼付近を除き、ずっと中央本線とつかず離れずのお付き合いをすることになるはずである。中央本線はかつて、国鉄時代には塩尻までを中央東線と呼んでいたが、最近はあまり聞かない。塩尻から名古屋に向かう中央西線とこの中央東線が相互に乗り入れる定期列車はなく、団体用の臨時列車や貨物列車がある程度らしい。この乗り入れ列車は塩尻駅を通らずに通過するというので意外に思ったが、旧中山道を歩いたときの塩尻駅の構造を思い出して納得した。中央線の列車は、新宿からも名古屋からも、塩尻から篠ノ井線経由で松本方面へ向かうのが当然であり、そのようにレイアウトされた駅が作られていたのである。

 この中央線には、いろいろな思い出がある。中学校の林間学校で2年続けて行った小海線の野辺山高原や八ヶ岳・赤岳登山で、帰りに小淵沢から乗ったのが初めての中央線の旅だったかもしれない。その後、信州の山々や高原、そして富士五湖周辺のハイキングなど、友人や家族と中央線のお世話になった回数は数えきれないほどある。蒸気機関車に引かれたチョコレート色の列車であった。当時はスイッチバックも多く、山奥を走っていることを実感したものである。そのスイッチバックは、当時8か所もあったそうだが、今は1か所、鉄道保守工事用の施設として初狩駅に残るだけだという。なお、地図を見ていて、その初狩駅のすぐ近くをリニア新幹線が、まだ実験線だが、通っていることに気付いた。もちろん、地中深いトンネルゆえ、鉄道四世代の最古と最新の姿を同時に見ることができないのは残念である。

 また、中央線には懐かしい駅名も多いのだが、名が変わってしまったところも少なくない。中央線の先、大糸線の「信濃四谷駅」は「白馬駅」に変わってしまった(昭和43年変更)し、今回の旅ですぐ近くを通過した「高尾駅」は「浅川駅」だった(昭和36年変更)。そして、次回歩いて通過するはずの「相模湖駅」も、思い出せなかったのだが、調べたら以前は「与瀬駅」だった。この変更は昭和31年であるから、ずいぶん昔である。

 「おらぁ三太だ」で始まるNHKのラジオドラマで、花荻先生が「近くにダムができる」と話していたことを覚えているが、それが相模湖だったのだろうか。このドラマ、正式には「三太物語」だが、昭和25年4月30日放送開始とある。作者、青木茂、脚本、筒井敬介という名も懐かしい。相模湖の完成が昭和22年というから、ドラマが始まった時には、すでに相模ダムはできていたことになるし、自分が初めて中央線に乗ったときに窓から見た光景も、すでに相模湖のある風景だったようだ。花荻先生の云ったダムは、相模ダムではなく、昭和30年に完成した道志川の道志ダムだったのかもしれない。舞台の道志村は神奈川県と隣接する山梨県の端にある村で、明治のころから横浜市が取水して水道用に送水している道志川が流れている。この川、いずれは相模湖のある相模川に合流するが、道志村では、相模川とは山が隔てている別の流れである。横浜市の水源地として道志村と横浜市が協力して水源の森の維持をしてきた関係から、一時は地元から横浜市に合併したいと発議されたことがあったそうだが、遠く離れた飛び地となることから実現はできなかった。しかし友好・協力関係ができて、今も密接な関係にあるという。

 相模湖駅の前身名だった「与瀬」は旧甲州街道の、次回通過する宿場名でもある。旧街道は与瀬宿から先、「吉野宿」の手前まで湖底に消え、途中にあった「勝瀬」という集落も沈んでしまったという。相模川を2度渡る「二瀬越え」は近道だったらしいが、今は山側を遠回りし、「勝瀬」の名は吉野宿近くの「勝瀬橋」に残るだけのようである。

 旧中山道では、木曽路で中央西線と並んで歩いたし、旧北陸道でも北陸本線と長いお付き合いをした。2時間に一本しか普通列車が来ないところも多かった。それぞれの旧街道歩きの記憶には、鉄道の残像が少なからず焼き込まれている。多分、これからの今回の旅もそうなるであろう。昔の記憶がよみがえるセンチメンタルジャーニーになるかもしれないし、新しい記憶も生まれることだろう。楽しみである。

   
 
   
 
 浅川 大和田橋
     
    
 八王子
    
  
   
 
   
 
    
     
 
イチョウ並木が続く 八王子の「市の木」だそうだ
  
    
      
   多摩御陵参道
  
 
 
  延々とイチョウが続く
  
   
  
 左20号線と別れて、右の旧甲州街道に入ると気持ちの良い家並みが続く。 東浅川町である
   
      
 
  東浅川町の旧甲州街道
  
  
      
  
  
 
     
   
 
  
  
 
  
 
   
 
  
   
 
旧甲州街道では、日野宿本陣跡に小規模な格子窓はあったが、まだ本格的な格子は見ていない
東浅川の美しく立派な建物群の雰囲気は江戸の香りのようだ   
    
 
   20号線にいったん合流して高尾駅前を通過。 
両界橋で、この中央線のガードをくぐってから再び20号線と分かれて小仏に向かう

   
    
   
やっと静かな旧道に入り、駒木野宿   小仏峠にあった小仏関所は、後に、ここ駒木野に移設された
  
    
 
      
  
 
旅籠「ふぢや新兵衛」とか 小仏川原に突き出した舞台造りという 上行講の碑も
 上行講とは日蓮宗の上行菩薩にちなんだ名の講だろうか
 
  
   
 
  真新しい圏央道をくぐる   中央高速道との八王子ジャンクションのすぐ近くである
   
   
 
数日前の雨はこの辺りでは雪だったようだ
  
    
 
旧道が中央線に大接近して、やっと列車をとらえた    右が小仏に向かう旧甲州街道
  
    
 
  本日の終点、小仏バス停前  この先に小仏峠がある  右の崖上は中央高速道
 
   


 
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