浅水宿(あぞうず)が近づいてくると、大きな民家が次々に現れる。多くは、白壁と柱、梁、貫のコントラストが美しい、例の、大きな切妻破風を持つ伝統的な建物である。瓦は黒である。旧中山道や旧東海道などの、軒が低くて小さい間口の、格子戸が並ぶ宿場の家並みと違って、立派な庭を伴った堂々たる風格である。これまで、街道沿いにある多くの民家やその集落を見てきたが、これだけ立派な家並みは、多くはなかったように思う。まさに、豊かさを実感する風景である。
建物の外観上の印象だけであるが、確かに福井県が豊かに見えるのである。経済企画庁による「豊かさ指標(正式には、新国民生活指標)」で福井県は5年連続一位という。その指標の中に、一人あたりの畳数があるという。 また、著名な建築家、伊藤ていじ氏の「民家は生きている」(美術出版社、1963年)によると、畳の大きさは、飛騨高山から伝わった富山、高岡、金沢、輪島では、クラシックな表現で、5尺8寸×2尺9寸であるのに対して、福井では6尺畳の他に、稀には6.3尺畳やアイノマという6.1尺の畳だという。畳の数だけでなく、畳一枚の大きさにも豊かさが表れているのかもしれない。
もっとも、経済企画庁の住まいに関する豊かさ指標では、地方で一戸建てに老夫婦が住む場合と都会のマンションに家族4人で住む場合をみれば、指標は、老夫婦の数値の方が圧倒的に高くなる。だから、過疎県が上位に並ぶのだ、との異論が過密県から出ているらしい。だが、もうひとつ、「幸福度」を数値化する調査(2011年)が法政大学で行われたという。こちらもトップは福井県で、以下、富山県、石川県と北陸が上位独占である。各県の順位と40の指標の中身に関心のある方は、法政大学のページをご覧いただきたい。
歩きながら見て実感した風景にこれらを重ねれば、豊かで、幸せいっぱいの越前の国であることは間違いなさそうである。北陸新幹線が開通しても変わらないことを願うばかりである。
浅水近くの切妻では、その妻壁に、これまで越中や加賀で見てきたものと少々の違いがあるように見えた。木組みのうち、格子を形作る柱と貫の中で、妻梁と呼ぶのか、他よりも一段と太い材が屋根の下部を支えるように組み込まれている点がひとつ。地域によって、太い梁と細い貫の配置が変わる個性のちがいだろう。そして、もうひとつ。妻壁の下部に、例えば瓦を互い違いに重ねた断面のような美しい模様が組み込まれていて、他の地域以上にこのデザイン性が濃いように思う。
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浅水付近の切妻破風の例 妻壁の下部の飾りにも注目を
「懸魚(けぎょ)」を持つ屋根もあった(今回のページの最初の一枚にある) |
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旧中山道 塩尻宿近くの大棟造り |
旧北陸道 金沢近くのアズマダチ |
<参照> 越中の民家・アズマダチ |
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浅水付近 庇の上、妻壁の下にある飾り |
司馬遼太郎は、街道をゆく18 「越前の諸道」(朝日文庫)に、「切妻に、たてよこの格子模様を白壁から浮き出させる構造材は、明らかに飛騨の民家からの影響である。越前が山々に隔てられているが背中合わせであることを忘れてはいけない」と書いているが、こうした美しい切妻破風の家は、繰り返し書くように、信州・塩尻宿の本棟造りや越中・砺波平野、散居村の民家、そして加賀のアズマダチと呼ばれるものなど、旧中山道沿い、旧北陸道沿いの各地に見られ、ルーツを同じくするものではないかと思われてならない。しかも、少ない経験では、飛騨高山周辺でこのデザインを見た記憶がない。実際はどうなのだろう。もしも、司馬さんのいうように、飛騨の巧の技や美意識が、越前の、文中に出てくる一乗谷周辺に届いたとしても、それは白山の山越えではなく、ぶり街道ともいわれた飛騨街道、別名、飛越街道を通して交流が多かった越中、富山経由のことではなかっただろうか。前述の、伊藤ていじさんによる畳の大きさの伝わり方からみてもそんな気がする。この美しい民家のルーツについて、専門家の見解がどこかに発表されているかもしれないが、まだ見つからない。ぜひ、知りたいものである。
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