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ゆっくり・きょろきょろ 旧北国街道・旧北陸道を歩く 
旧北陸道 その

谷浜-能生宿
  
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区間 宿場間計算距離 GPS測定値 歩数計 備考
長浜宿-有馬川宿 2.90 km 2.88 km 4,583 長浜宿-谷浜は前日終了につきGPSと歩数は谷浜から有馬川まで
有馬川宿-名立宿 7.94 8.39 13,665
名立宿-能生宿 12.18 11.97 18,604
その他
合計 23.02 km 23.24 km 36,852
高田宿からの累計 35.12 km 41.70 km 67,819
追分宿からの累計 169.75 km 1188.93 km 279,888 GPS測定値と歩数には、寄り道、道の間違いロス分を含む
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2010年5月
   
旧北陸道(加賀街道) 長浜宿・谷浜から有馬川宿、名立宿を経て能生宿まで
                                   この日も、湖のように静かな日本海             
  
  
  
  
  
  
 旧北陸道の2日目、長浜宿の谷浜を出て1時間ほどで旧道は山側に入って、坂を登る。 ところどころで、下の方に海が見えるところがあるが、まるで中山道か善光寺街道(北国街道)を歩いているような錯覚を覚えるほど、山の中や田畑の中を歩く。 国道を歩いていたらこの道は気づかないであろう。
 標識も案内板もまったくないので、何度か道に迷ったが、そのたびに、幸運にも土地の人に出会って、なんとか旧道を確認できた。 この有馬川宿-名立間の山側の道は、アップダウンがあり、途中、通行止めと書かれたところ があるなど、やっかいだが、美しい緑と水田が豊富で、たいへん快適なコースである。
  
                             
                             
            
             
                      残雪の山が見えてきた 
                
                     名立の町が見えてきた
  
                     後立山から親不知に落ち込む山並みらしい。この左の方に白馬岳が見えるはずなのだが・・・
  
  名立から先では、また海岸に戻る。 かつて北陸線の線路であったところが、廃線で久比岐自転車・歩行者道として、有馬川近くから糸魚川市内まで整備されている。 国道8号線には歩道がないため、旧道が分れて通過する集落周辺以外は、この自転車道を歩いた。トンネルも照明が明るくて、安心して歩くことができる。旧道にこだわる旅でも、許される誤差であろう。
  
  
  
  
  

        
                                          
  
                     海と山に挟まれて、狭い道の両側に二階建、三階建ての民家が続く印象的な筒石  
  
                                        漁船の帰港を告げるスピーカーが響く筒石漁港
  
                                 黒瓦の光沢がまぶしい
  
 

夕日、月と星のランデヴー
、そして蟹
        
  能生宿がこの日の終点である。 紅ズワイガニで有名な漁港のある町である。 今、シーズンオフではないかと心配したが、幸い、ヤドで一匹丸ごとを味わうことができた。 しかし、大変に忙しい夕食となった。 前日、谷浜で、晴天なので名物の夕日を見たかったのだが、あまりののどの渇きにビールの誘惑に負けてしまった。 この能生の旅館は窓から直接、夕日が落ちる海を見ることができそうだった。 女将さんは、夕日は海岸に出た方がきれいに見えるので、食事はその後にしたら、と言ってくれたのだが、のどの渇きは前日以上である。 部屋で落日を見ながらの蟹となった。 蟹との格闘でグショグショになった手をふきふき、シャッターを押した。 見事な落日と、見事な夕日色の蟹との組み合わせは、考えてみれば贅沢である。 だが、まだその先がある。 ビールも地酒も、そして蟹も片付いたあと、酔いざましと、能生の夜景は如何に、と窓を開けたところ、さっき陽が沈んだあたりの中空に、細い三日月と、明るい星が寄り添っているではないか。 これは面白い、とさっそくシャッターを切った。 その直後、携帯電話を使ってメールサイトにつないだところ、友人から天体ショーの案内が届いていた。 月と金星のランデヴーだった。 夕日と天体ショーと蟹の、印象的な能生であった。

 昨日、春日山城の後に立ち寄った五智国分寺に、芭蕉の句碑があった。 「薬欄にいづれの花を草枕」 で、高田の俳席での発句である。 奥の細道の芭蕉はその後、この能生に泊っている。 曽良日記によると、手前の名立に泊るつもりが、手紙が届いていなかったので能生まで足をのばし、日が暮れてから着いたという。 その芭蕉が泊ったという能生の宿があって、実は、どちらにしようかと迷ったのだが、誘惑に負けて、確実に蟹が食べられそうな 「かにや旅館」 を選んだのだった。 夕日と天体ショーと蟹の組み合わせの幸運は、芭蕉のヤドにもあったのだろうか。 芭蕉は、この能生を発ったあと、早川で着物の裾を濡らして河原で干した。 そして、天下の難所である親不知を越えて市振に着いたとされる。 これから行く恐ろしいところである。
 


 
      
                                  
  
                  蜃気楼と間違えた鳥山
                                              肉眼ではビルが乱立する街並みに見えたのだが
                           能生漁港と街並み
             
                                    ヤドの窓から蟹とビールを友に    
    
                                    夕日と飛行機雲
                                   
                                    三日月と金星
                                              
                                         
                                           今回の主役
    

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