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ゆっくり・きょろきょろ 旧北国街道・旧北陸道を歩く 
その

野尻宿-
関川宿(信越国境)-田切・二俣宿-関山宿-松崎・二本木宿-新井宿
  
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区間 計算距離 GPS測定値 歩数計 備考
野尻宿-関川宿 2.98 km 3.67 km 5,610 関川宿:関川関所跡
関川宿-田切・二俣宿 4.01 4.01 6,717 田切・二俣宿:田切問屋跡付近
田切・二俣宿-関山宿 6.21 6.89 10,487 関山宿:関山神社入り口交差点
関山宿-松崎・二本木宿 4.95 5.39 7,596 松崎・二本木宿:安楽寺前
松崎・二本木宿-新井宿 6.49 6.92 10,081 新井宿:本陣跡付近駅入り口交差点
合計 24.64 26.88 40,491
追分宿からの累計 123.24 km 1135.17 km 194,260 GPS測定値と歩数には、寄り道、道の間違いロス分を含む
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2009年6月
    
野尻宿から、信越国境を越えて関川宿、田切・二俣宿、関山宿、松崎・二本木宿を経て新井宿へ
  
                                                           
  
                                                           
   
 野尻を出ると間もなく国境を越えて、越後入りである。 黒姫山と、越後富士とも呼ばれる妙高山がますます大きくなった。 どこからでも見える山である。 ここまで来ると、さすがに、上杉謙信や景勝にまつわる遺構や言い伝えが多くなってきた。 
 中山道で始まり、長かった信濃の道もひと区切りである。 さみしさがあるが、初めての越後路、その後の加賀路など、これからの期待も大きい。 日本海沿岸の街道文化に触れるのが楽しみである。 
   
 朝の野尻湖
  
ベールをかぶった黒姫山
  
   妙高山   
  
   
  
 信越国境の関川を渡る 
  
    
  

雪国の夏
        
 野尻湖を出て1時間ほどで関川の橋を渡り、信越国境を越えた。 関川の関所跡から、旧北国街道沿いには、どんな伝統的な建物や文化があるだろうと、期待しつつ、妙高山を見ながら淡々と歩いた。 しかし、どの建物も、比較的新しく、興味をそそられるものがない。 と思いながら進むと、モダンで不思議な形の家が次々に現れた。 その家々は少なくとも3階建て、多くは4階建てである。 豊かな土地柄なのだろうか。 よく見ると、1階部分は打ちっぱなしのコンクリート製土台がそのまま立ちあがって壁になっているように見える。 1階はガレージや物置などで、居室ではなさそうである。 高床式にして、下には部屋を作っていないものもある。 何といっても特徴的なのは、屋根の形である。 基本的には切妻屋根なのだが、屋根の流れの一方は鋭く立ち上がって、ほとんど垂直に近い。 もう一方はゆるやかに流れている。 なぜこのような家ばかりが登場するのだろう、流行だろうか。 モダンなデザインではあるが、自分の好みではない、とも思った。 だが。

 その疑問は一気に解決した。その先の関山宿に近づいて、あっと気付いたのだ。 どの家も玄関が二重になっている。 風除けや、雪落としのための工夫である。 今ごろ気づくとは赤面ものだが、暑さにうだりながら歩いてきたためか、この付近が特別豪雪地帯に指定されていることを忘れていたのである。 最大積雪深さの記録が3.7mもある地域である。 あの屋根の構造は、道路側に雪が落ちるのを防ぐ工夫であった。道路側をほとんど垂直に立ち上げて雪が積もるのを防ぎつつ、片流れ屋根の欠点となる正面からの風を和らげるのだろう。 反対側の緩い傾斜屋根の雪は、裏庭に自然に落とすか、雪下ろしで安全に落とすよう、傾斜をデザインしているようだ。 1階は雪に埋もれることが前提で、だから玄関も、階段を上がって2階に作られている。

 他にも、いろいろ気付いた疑問が、「雪」 をキーワードとしたら、ほぼ解けてきた。 道路沿いに、コンクリート製の池がある。 いったんは、澄んだ水が豊富に流れる地域だから、昔から家事に使ってきた川端 (かばた) かと思った。 たしかに、信州側の小古間では川端に似たものを見たのだが、この越後側のものは様子が違う。 大きいし、かなり深そうだ。 結局、これも雪対策用で、降ろした雪を投げ込んで溶かす消雪池らしいと気づいた。 「タネ」 ともいうらしい。 また、今は妙高市だが、元、妙高高原町や妙高村だったあたりでは、豊富な水と傾斜のある地形を利用して雪を流す流雪溝が多いという。 ここでも 「雪流し水」 というのだろうか。 どこを歩いていても、勢いよく流れる水の音が聞こえてくる。

 また、道路の中央に、2、30センチ幅の帯が延々と続いている。 かつては用水路だったのだろうか、などと街道歩きで仕入れた知識を持ちだしてみたが、ちょっと幅が狭すぎる。そのうちに、その帯の中に円形の金属板が点々と埋められていることがわかって、近寄って、そうか、と気づいた。 消雪パイプである。 旧道の細い道にも、延々と続いていた。

 地図を見ると、関川宿から高田までの間、妙高市と上越市が複雑に入り込んでいる。 妙高市からいったん上越市に入ると、かつての中郷村に信越本線の二本木駅がある。 地図を見て、その駅が不思議な位置にあることに気づいた。 はじめは、駅に隣り合う日本曹達の工場への引き込み線があるからだろう、と思っていたのだが、よく見るとそれだけではなさそうだ。 踏切を渡りながら様子を見て、さらに駅まで行って確認した。 やはりスイッチバックであった。 今も各駅停車の列車は、スイッチバックで駅に入る。 全国でも数少なくなったが、ここは現役である。かつては、隣の関山駅にもあったそうだ。

 実はそのスイッチバックのことではなく、その前に二本木で気づいたことがある。 どの民家にも屋根に登るための、しっかりした梯子が作りつけられていることである。 そして、屋根にはおびただしい数の雪止め金具が上から下まで列をなして取りつけられていることである。雪国の屋根は、自然に雪が落ちるように急勾配の方が良いのではないかと、かねてから勝手に思っていたのだが、そうではないようだ。 実は、勝手に雪が落ちられるとたいへん危険であるから、できるだけ落ちないように工夫し、そのうえで、人が登っても安全に雪下ろしができるように、揺るやかな勾配にしてあるということらしい。 納得である。

 真夏の雪国で、はからずも、この地の人々の雪と戦いの一端をうかがい知ることができた。 だが、のんきに楽しみながら歩く人間がいうことだから、失礼に過ぎるかもしれないが、豪雪のころの厳しい北国街道を、ちょっとだけでも覗いてみたい気がしてきた。 汗をかきながらの今、その世界が、どうしても想像できないのである。

 
  
  
御館の乱 無名戦士の墓 (田切)
  
  
      
  
   
   
      
       
   
 スイッチバックの二本木駅     列車は左から来て、同じ左に出てゆく 
  
 新井宿に到着  明日は高田に向かう 
  
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