home (腹の出た年輪の物語) へ

ボヘミアの古都 チェスキー・クルムロフ と
プラハ、ウィーンの旅

2005年6月13日(日)-21日(火)  旅の記録

ボタンのクリックで、写真集、マップと旅の記録、小文集に入ります
 (「チェコ・ボヘミアを感ずる」 は、 7月26日、12篇の小文を掲載して完結しました)


テーマ別  写真集     
       
ルートマップ と 旅の記録       
  
チェコ ボヘミア を感ずる




      
                           
  ウィーンに2泊して美術館などを楽しんだあと、バスで国境を越えて初めてのチェコに入りました。  まず、モラヴィアの真珠といわれる優雅なルネッサンス風の町、テルチで、頭を中世に切り替えてから南ボヘミアのチェスキー・クルムロフに2泊しました。 早朝から霧が晴れてゆく道を散歩し、一日かけて家並み、城とその中に復元できたばかりのバロック劇場などをゆっくり、すべて歩いて楽しみました。 見事に中世の町を残していることに驚き、感動し、その美しさに夢中になりました。

  チェスキー・クルムロフに次いで楽しみにしていたホラショビツェでは、人口わずか140人の小さな村の南ボヘミア風バロック様式の家並みの素朴な美しさに酔いました。 我々以外には観光客が誰もいない、この上なく穏やかで美しい村でした。

  その後、フルボカ城経由でプラハ入りしました。  プラハには3泊して、思いがけずスメタナホールの切符が取れて音楽を楽しんだり、東ボヘミアに遠出して、 かつて銀山で栄えた美しいクトナー・ホラの町や、サラエボ事件で暗殺された、 オーストリア皇太子のフランツ・フェルナンドが持っていたコノピシュチェ城を見ました。


 1968年(昭和43年)にプラハの春をソ連軍戦車が入って打ち砕いた、そして若者が死をもって抗議し、 さらに1989年(平成元年)ビロード革命の時には100万人の市民が集まったという、ヴァーツラフ広場の石畳をこの足で歩いているうちに、目頭が熱くなりました。

 つい最近までの重い歴史を肌に感じながら、ボヘミヤの田舎の美しい自然と伝統美に触れることのできる、実に魅力にあふれる旅路でした。


topに戻る
 

home (腹の出た年輪の物語) へ