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ゆっくり・きょろきょろ 旧中山道を歩く
その 28

草津宿-大津宿-京都・三条大橋

  
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区間 旧中山道里程表 カシミール3D 歩数計 備考
草津-大津 14.3 km 16.5 km 23,537
大津-三条大橋 11.7 11.2 15,250
26.0 27.7 38,787
日本橋からの累計 531.3
km 559.0 km 789,192
 route_map
2009年3月
  

草津宿-大津宿-京都・三条大橋

  
     
 ついに、フィニッシュである。 二度目の三条大橋ゴールである。 日本橋から歩いてきたのだ、という驚きと感動を感じながら、大勢の友人たちが迎えてくれる中でのゴールだった東海道歩きのときとちがって、今回は、心穏やかな、静かなフィニッシュある。 しかし、いくつもの峠をあえぎながら越え、自分として新発見であるいろいろな山の街道の文化に触れて、実に充実した旅であったから、終えて、満足感に浸っている。

  
     
     
旧中山道のすばらしさ
 東海道とどう違いますか? どちらが良いですか? と聞かれる。 スタート以前、中山道に多い峠道のきびしさを心配したり、逆にそんなところを歩くことが楽しみであったりしたが、まだ東海道歩きの興奮が残っていたから、街道文化に触れながら歩いた東海道の楽しさの方が大きいのではないかと、何となくそんな気がしていた。 しかし、歩き終わった今、中山道のすばらしさ、楽しさに、興奮が続いている。

 まず、箱根峠以外はほとんどが平坦な東海道に対して、碓氷峠、和田峠や十三峠など、大きな峠をいくつも越えなければならない中山道のスケールの大きさである。 熊との遭遇を心配することが再三あったほど、自然に囲まれた街道である。 皇女和宮一行の大行列が登ったとはとても考えられないほど、細くて厳しい山道がある。 そして、そんな街道の際に立つ昔の旅人の句碑や歌碑は、道がきびしいだけに、一層強く響いて心を揺さぶられた。

 そして、さまざまな美しい連子格子だけでなく、上州の養蚕用煙出し櫓、信州の本棟造り、雀おどり、出梁造り、そして美濃の卯達など、中山道の建築文化は多彩で、いたるところに豊富に残っていたことが大きな喜びであった。 山国の厳しい気候を克服するための知恵や、かつての商家の繁栄を誇示した名残りなど、中山道沿いの建物は実に美しい。 そして、宿場の街並みが見事に復元された妻籠や馬篭、奈良井宿だけでなく、ひっそりと雰囲気を残す家並みもいたるところにあった。

 このように、今に続く人々の暮らしの光景から、フィルムを容易に逆回転させて、かつての暮らしを見、かつてを思うことのできる旅であった。 山国だけではない。 美濃では、暴れる木曽三川とのおつきあいのための先人の苦労が今に残り、近江の琵琶湖やその近くでは水と人の暮らしが一体となっていた名残りが見えた。 梅花藻が揺れる澄んだ水が街道際を流れて、そこには川面に降りる石段がいくつも作られ、内湖では今も漁師が魚を追い、ヨシを刈り、手漕ぎ船が浮かぶ、そんな近江の水であった。 まさに里山の風景である。 近江商人にとって重要な輸送路であった琵琶湖からは、町に荷船を寄港させるための運河が掘られて、倉庫群とともに残っていた。 残念なことに、中山道筋では、人と自然の見事な共生の場であった内湖の多くが埋め立てられてしまったが、今でも、その面影や雰囲気だけは残っている。 近江の人の水自慢は印象的であった。

 どれもこれも、美しい。 自然と人のかかわりのある風景が心に響く。 この国を作っている文化の根源的な部分を見た思いである。 中山道のすばらしさはここにある。
 
  
  
  
  
手入れの行き届いた庭木は、ここでも、街道に住む人達の誇りを見る思いである
  
    
  
弁天池
  
  
  
  
  
   
   
 瀬田の唐橋
      
  
  
  
  
「ばったり」と呼ばれる折りたたみ式のベンチ、(売り物を並べる棚)は、ここ膳所藩の一帯に非常に多いことを今回、確認できた
  
  
  
  旧中山道から100メートルほど離れ、街道から今は見えなくなった近江大橋付近の琵琶湖南端
  
  
  
 逢坂山 
  
 蹴上 
  
  
  
  
  
  
三条大橋
 
京都三条大橋に到着
ご声援ありがとうございました
 
      
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