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房総・勝浦

ひなまつり


2004年3月6日

明け方まで降っていた雨が、天気予報通りに上がったものの、まだ本当に晴れるかどうか疑問に思う天気でした。 それに、予報がいう通りに風が強くなる気配です。 でも迷っていると間に合わなくなるので思い切って出かけることにしました。 だめなら引き返せばいいや、と。 土曜日の朝6時45分です。
フェリーは大きなうねりのために揺れて、東京湾の横断や金谷港の接岸にかなり慎重だったようです。 予想より時間がかかったために、JR浜金谷まで懸命に走りました。 予定の電車に乗り遅れれると勝浦到着は1時間半も遅れて昼近くになってしまうのです。 同様に駆け出した人が他に2人。 スタートはトップ。 途中で抜かれて結局ビリに。 もっとも、最初からあきらめていた人が他に数人いたようです。  もうすぐ駅というところで一旦ギブアップしかけましたが、なんと電車が遅れていたようで悠々と間に合いました。 でも、乱れた息がなかなか戻りません。 歩くことにはだいぶ慣れたのですが、坂を上ることと走ることは相変わらず苦手です。 最初からあきらめた人たちまで間に合ってしまいました。 エネルギーの浪費をしてしまいました。
JRの「駅からハイキング」の案内をもらったので、参加登録もしないまま一人で出かけることにしたのです。 最近よく紹介されるようになった「勝浦のひなまつり」を見て、太平洋の海を眺めながら歩く10kmたらずのコースです。


内房線の客のほとんどがハイキング姿、ウォーキング姿で、終点の館山でいっせいに安房鴨川行きに乗り換えるので、目的地は自分と同じ考えの人たちだろうと思いました。 宮城県や福島県からの人たちで、聞こえてくる会話によると夜行バスで東京に着いた人たちもいるようです。 これは大変な混雑だろうと思い、平日に来なかったことをまたもや悔やみました。 ところが千倉でほとんど降りてしまいました。 あとで分かったことですがフラワーマーチなる行事の参加者の方々で、なんと一日20kmまたは40kmずつ二日間歩くのだそうです。 いずれにしても安房鴨川でまた乗り換えて東京行きの外房線に乗る、というのは大変効率が悪くて、勝浦に内房線で行く人はほとんどいないようです。 本数が少ないこともあって、ものすごく時間がかかるのです。 電車で勝浦に行くのは外房線を利用する東京や千葉の人たちばかりのようです。 
千倉を過ぎて、和田浦から江見にかけて車窓からは畑に色とりどりの春の花が見えて気持ちが浮き立ちます、勝浦行きをやめて下車してしまおうかとも思ったくらいです。


やっと勝浦駅に着いて、町に入りました。 日本の3大朝市のひとつという朝市が開かれている町歩いて気がつくと、いろいろなお店のショーウィンドーや商品陳列台にお雛様が飾ってあります。 ガレージや2階の窓にもあります。 思わず嬉しくなったのは、魚屋さんの店です。 カワハギなどの魚と並んでいるのです。 お刺身、と書かれた看板の下に並んでいるひな壇もありました。 薬局では二つの大きなひな壇が商品棚を押しのけた場所を占めていました。 国の有形文化財に指定されているという由緒ある旅館、松の家さんでは玄関の板の間に立派なお内裏様と、さらに、立派なひな壇も飾って女将さんがを説明しておられました。
九州や東北など各地で、家の戸を開けて雛人形を路行く人に見てもらう習慣があるようです。 この勝浦でも昔からあったのか、最近なのかは聞きそびれました。
写真やポスターで見る60段の超大型ひな壇は、遠見岬神社の石段でした。 沢山の人が驚きの歓声を上げていました。 
雨や強風の時には片付けるのだそうですが、大変な作業でしょう。
市役所や、メイン会場の市民会館には驚くほどの数の雛人形が集合していました。 徳島の勝浦町が本家だそうで、同じ「勝浦町」の名の縁で協力してくださり、この房総の勝浦町でこのビッグなひな祭りをはじめたと聞きました。






お内裏様の顔は、さまざまで、まさにお公家さんのお顔から現代娘、まだ幼い子供の顔までどれも個性的です。明治、大正、昭和時代それぞれの名古屋御殿人形や、江戸後期の作というもの、ごく最近寄付された総理大臣賞受賞作品、それに子供たちの手作りのおひなさまなど、ものすごい数に圧倒されました。




帰り道の電車の中でずっと考えました。 豪華でビッグなひなまつりなのに、なんとなく悲しい気持ちにもなってくるのはなぜだろう、と。

心を込めて丁寧に手入れされていたのでしょう、今もきれいに輝いている人形たちは、どれも喜びにあふれたときがあったはずです。 でも、この大集合はそんな時期を経ていまや孤独でさみしくなった人形たちが集まったように見えます。 その一方で、いろいろなお店で、例えばあの魚屋さんの店先で魚たちと同居したお内裏様は、同じように澄ました顔をしているものの、今とても幸せなのだ。 と思ったとたん、電車の窓からのまん丸に明るく輝いている月がゆがんできてしまいました。

でも、思い直しました。 今、勝浦の方たちの情熱あふれるお世話を得られるようになり、町の方々がとても楽しそうに説明をしてくださって、おおぜいの人たちに喜んで見てもらえるのですから、きっと人形たちも嬉しいにちがいないはずだ、と




空はほとんど雲もない快晴で明るい日差しが降り注いでいます。 しかし、海も陸もひどい強風です。 川津港から官軍塚を経て着いたお万の方由来の勝浦城址、八幡岬ではカメラも構えられないほどの強風で、体ごと飛ばされないかと心配すらしました。 
駅に戻ると、案の定、強風による倒木で外房線の電車が止まったために大幅に遅れていました。 やっと動き出してものらりくらりです。 当然のことながらにフェリーも欠航になっていました。 予想していましたからショックは小さいのですが、我が家のある山が近くに見えているのにわざわざ木更津へ出て、アクアライン経由の遠回りは難儀でした。 ひと昔前は当然だった東京駅経由の東京湾一周よりはだいぶ進歩しましたが。
勝浦駅に戻ったのが午後1時半、家に着いたのが7時半、なんと6時間もかかったことになります。 
それにしても、安房鴨川と館山間の電車が少なくて1時間に1本程度なので、ダイヤに乱れが出ると大変なことになることを実感しました。 「時間がゆっくり流れます」とはこういうことなのである、ことも実感しました。
ただし、この遠回りのおかげでアクアラインのバスから見た富士山に没する夕日とその光を受けて羽田に着陸する飛行機の姿は収穫でした。 
そして房総帰りなのに、土産は博多の明太子となりました。 羽田空港経由でしたから。

結局、いろいろなことがあったこの日は合計17.4km歩いたことになります。


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