チェコ チェスキー・クルムロフ
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今回の旅の最大の見どころです。NHKのハイビジョン生中継「世界遺産 青きドナウの旅」でホラショヴィツェやプラハとともに紹介されて、訪れる日本人が急増しているようです。 バスを降りるともう、絵の中に飛び込んだ感じです。 この町の中に、まるで2つの川が流れているようにも見えますが、実は町の中でUターンして、町を包み込んでいる一本の川です。 その名が、ヴルタヴァ川です。 あの有名な、スメタナのモルダウ川のことです。 こちらはドイツ語です。 プラハ城に次ぐ大きさのチェスキー・クルムロフ城が丘にそびえています。 城を中心とする赤瓦の町は、世界で最も美しい町のひとつと称えられています。 足を踏み入れたとたんに別世界、別次元に飛び込んだような錯覚を覚え、中世そのままの町並みに感動します。 翌日、人通りの少ない早朝、カメラを持ってひとりで出かけました。 前日の夕食時に降った夕立の水分が蒸発して町と遠くの丘の緑の間にガスを浮かばせています。 石畳にも潤いがあって、しっとりとしたこの雰囲気はとても贅沢な気分にさせてくれます。 朝日をガラス窓に反射させて、元神学校の建物がカメラ心を揺さぶります。 すべて歩いて周れる小さな町ですから、朝食の後、みんなで歩いてお城に向かいます。 屋根の色彩や石畳からは、町がドイツのローテンブルグの雰囲気に似ているようにも思えました。 しかし、よく見ると、家々のしっくい壁にはパステルカラーで多彩な絵が描かれています。 スグラフィットと呼ばれる、立体感を与えるための一種のだまし絵、などルネッサンス様式の模様の壁が多く、カラフルで大変味わい深い家々です。 しかし、このように美しく蘇ったのは比較的最近であり、いまやっと90%の復元が終わったところだそうです。 14世紀からロジェンベルグ家が支配し、16世紀にはルネッサンス様式の都市としてほぼ現在の姿が出来上がったのだそうです。その後、エゲンベルク家、シュヴァルツェンブルク家と領主が変わって、次第に近代化から取り残されたということです。 ヒトラーがこの町に来て、チェコのドイツ併合を宣言したのが、市庁舎前のスヴォルノステ広場だそうです。 この広場では、明日からの時代祭り(バラ祭り)の準備で舞台が作られていました。 戦後の旧体制下では、伝統的な文化が軽視され、町は薄汚れて荒れたままで、観光客はこなかったそうですが、1989年の民主化の頃から美しい町並みの復興が始まって、1992年に、プラハやホラショヴィツェと同時にユネスコの世界遺産に登録されました。 歴史に翻弄されたものの、ある時期から歴史に無視されたために、かつての世界が保存されていたと云えそうな、結果的には幸運な町だったのかもしれません。 家内にとっては、、ハプスブルグ家のかかわりを知ること、感じることが今回の旅の目的ですから大切な町です。 でも、この町はハプスブルグ家のおかげもあって栄えたのですが、そのハプスブルグやローマカトリック勢力と戦ってプロテスタント系の貴族が追放されたボヘミアですから、必ずしも歓迎されなかったのだろうと思います。 一昨年、ヴルタヴァ川が氾濫して、大きな被害があったそうです。 ここまで水が来た、という壁の痕跡の説明を受けましたが、今、大きな被害を思わせる痕はありません。 やっと復旧して、美しさを蘇らせたところ、ということです。 町を俯瞰する写真は、お城の鐘楼である美しい塔に登って撮影したものです。 数えると165段の階段でしたが、町の美しさに息を呑みました。 中世と変わらぬであろうこの景色は今回の旅の圧巻でした。
城は、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど時代の変遷を写した建物や内装、家具が入り乱れて残されていて、これらを確認しながら復元することが大変だったということです。 部屋ごとに時代を決めて、内装や家具を調えたということです。 建物の構造や外観ならともかく、部屋によって、ここの内装はバロック、ここはルネッサンス、と説明されてもその違いが分からずとまどいました。 少し分かるようになると、興味も増してきます。 奥の仮面舞踏会の間には壁を埋め尽くす絵が描かれています。 招かれた貴族たちは、ここから渡り廊下を通ってバロック劇場に入場したそうです。 このバロック劇場は、やっと数年前に復元できたばかりです。 展示のための復元ではなく、あくまでも劇場として利用できる機能面も含めた復元であることが大きな特徴とされています。 照明はオーケストラボックスも含めてすべてロウソクです。 見学したところでは、舞台下の仕掛けのある部屋だけは部分的に小さな電灯がつけられたようですが、そのほかはまったく照明はロウソク、動力は人力のままです。 舞台は、瞬時の場面転換のための背景画などのいろいろな仕掛けが実にユニークです。 舞台下の木製の大きな歯車などのユニークでおおがかりな仕掛けも見ることができました。 人力で動かす仕掛けの複雑な作業を、あちこちで分担しながら担当する10数名の作業者が、それぞれの持ち場にいてどのように息を合わせたのか、どのように意思疎通をはかったのかは、今も分かっていないそうです。 今、上演するときにはトランシーバーを使っているようです。 劇場に入ったとき、真っ暗な客席で、椅子をテーブルと間違えてしまい、奇妙な格好になってしまいました。 米国人グループの人たちともども大笑いしました。 * 少々、解説が要りそうですね。
ヴルタヴァ川は、川くだりするカヌーやラフティングの若者、家族連れで活気にあふれていました。 チェコにはゴルフ場が殆んどなく、アイスホッケーやこうした野外の遊びを楽しむのだそうです。 我々の宿、ホテル・ロージェは、もとイエズス会の神学校、修道院の寄宿舎で、1568-1588年にロジュムベルク家つきの建築家によって設計されたものとのことで、外壁には家紋やスグラファットの紋様が描かれています。 このチェスキー・クルムロフ一番のホテルで、部屋がなかなか取れないそうです。 部屋の天井は太い木の梁が組まれていて、床の厚い板は歩くときしみます。 トイレは、王様の椅子のような形の木製でした(右下の写真)。 もちろん、ここ、クルムロフでも、おいしいチェコビールを味わいました。 昼はゴティカというレストランで、たらのフライ。 夜はホテルでローストポークでした。 どこも我々の好みに合わせてくれているように美味でした。
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