日光道中とは
 日本橋から久しぶりの旅立ちである。旧日光街道、旧奥州街道である。東海道、中山道、そして北陸道を歩いたあと選んだ街道である。今回の二つの街道、江戸幕府による五街道での正式な名称は、日光道中、奥州道中である。この両道は、宇都宮まで同じ道なのか、など単純な疑問もある。

 そこで、予習として調べてみた。古く、大化の改新による646年の駅馬・伝馬制度制定では、大路である山陽道に対して、陸奥の鎮守府(多賀城か)に至る東山道や、常陸の国府に至る東海道が中路として規定されていて、行政的には東北の諸国や武蔵国が東山道に、上総、下総、常陸などが東海道に含まれていた。そのころは、今の東京から利根川にかけては低湿地であり、道路としての東海道は武蔵を通らずに、三浦半島の走水から東京湾を越えて上総に渡っていたという。日本武尊の東征のルートである。その後、低湿地帯が干拓されて771年に武蔵国を東山道から東海道に編入した。

 下って、家康が江戸に入って江戸の町の整備に着手し、幕府を開いてから江戸を中心とする交通政策の一環として、五街道が制定された。奥州、日光方面については、もともとは江戸から奥州への街道がメインだったが、家康が日光に改葬されて祀られたころに整備された日光への道が、江戸からの正式な五街道のひとつとして日光道中となり、分岐する宇都宮から白河までが、奥州道中とされた。奥州道中は五街道でもっとも短い街道である。白河から先、奥州の仙台などに向かう道は、北陸道と同様に、幕府管轄ではなく通過する各藩の管理となった。ということがわかったのだが、実は、日光にかかわる街道が、この日光道中のほかにもいくつかある。将軍が日光参詣の時に使った日光御成街道、日光道中の近道といえる壬生道、そして、京都の朝廷からの使いが日光に詣でるときに、中山道をきて、倉賀野宿から分岐して今市に至る日光例幣使街道である。中山道を歩いているときに倉賀野で出会った日光例幣使街道は、雰囲気がよさそうだったし、栃木市など、街道の面影をよく残すところがある魅力的な道と聞いているので、いずれ歩きたいものと思っている。

 さて、日本橋を出発するにあたって、江戸のころの町の姿に触れようと、広重の江戸名所百景が描かれた場所を古地図と現代の地図に示してある書物や、嘉永戌申(嘉永元年、1848年)の出版という古地図の「関東十九州図」を手もとに開き、いつものように調査資料から読みとりながら旧街道のルートを書き込んだ現代の地図と見くらべてみた。

 まず、江戸名所百景に描かれた119枚の風景に注目する。旧日光道中やその近辺を描いた作品は多い。特に、隅田川が描かれた作品が9枚あり、さらに数えてみると、江戸湾の海が登場する作品が12枚、川や堀が67枚、池が14枚と、水辺の風景が登場するものが全体の78%もあって圧倒的である。広重にとって、水辺は絵になる風景であったのだろうが、江戸が水の都であったことをも、示しているのではないだろうか。

 この江戸名所百選には、小名木川など、堀や運河が登場するし、古地図にも江戸の町に多数の堀が載っている。西国や日本海側、奥州、北関東から届いた米や生活物資は、千石船など大きな船で海から来たものは沖で小舟に積み替え、関東の平野の川を下ってきた高瀬船はそのまま、小名木川などに入り、河岸から陸揚げしたという。河岸には倉庫も並んでいたようだ。近隣からの生鮮品も同様で、江戸前の魚は日本橋河岸で上げられたそうだ。堀が縦横に走り、かつての江戸はまぎれもない水の都だった。

 江戸の町が川や堀と密接な関係があって、暮らしだけでなく、文化としても根付いていたことが、この広重の絵などが示しているが、さらに、この江戸を支えていた関東平野から北関東にかけても、川が大きな存在であったことがわかってきた。今まで、漠然としか知らなかったのだが、実は、川は江戸を支えるための重要な社会基盤だった。もちろん、その川は、実にやっかいな存在だったのでもあるが。

 江戸名所百景に描かれたのは、京文化と違って、町人文化、庶民文化の風景である。日光道中、奥州道中は、こうした江戸文化を奥州地方に運んでいたはずである。参勤交代により、江戸に屋敷を構えた大名は、国許でも江戸と同じような生活したい、として知識人や職人を国許に呼んだという。こうしたことがきっかけとなって、江戸の武家文化や町人文化が地方に運ばれたのかもしれない。これまでの街道歩きでは、京の文化が、旧東海道や、旧中山道を下ったらしい様子を、歩いて感じ取ったのだが、今回のこの道でも、同様に何かを感ずることができるであろうか。また、旧北陸道歩きで知った北前船や琵琶湖水運のように、水運も、物資だけでなく文化をも運んだことが、この日光や奥州に向かう道からも感ずることができるだろうか。

 そんなことを楽しみに歩いてみようと思う。


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   <参考文献>
       ・広重の大江戸名所百景散歩、人文社
       ・関東十九州地図、古地図資料出版
       ・大石慎三郎:江戸時代、中公新書