home       残像の目次へ

石巻へ   2012年9月21日
手を合わせるために、仙台から石巻に出掛けた

旧北上川の中州の町、中瀬地区。地図を見ると、その北端にあった「観月亭」跡と思われるところである。
地盤沈下で水に囲まれた小島のようにみえるところは、何かの石碑か灯明でもあったのだろう
同じ中瀬地区の南。破壊されながら、片足で頑張っている自由の女神はこの公園のシンボルだったという
石ノ森萬画館は復旧が決まって工事が始まっていた。そこに展示されていた津波直後の写真(文字は除く)である。右中央に自由の女神が見える。右上の橋の上には流れてきた家が載っている。この写真には写っていないが、左の橋には船が載っている。今も、橋には激しく曲がった欄干が、強烈な津波の力を示していた。
この中瀬地区の名所は、この漫画館のほか日本最古の木造教会堂だというハリスト正教会と、150年の歴史のある岡田劇場だったが劇場は完全に流れてしまった。教会は、二度目の震災だったそうだが、激しく損傷を受けたものの、幸い流出を逃れた。こちらも復旧が決まったという。造船所なども、残った屋根を活かして仕事を始めていて、被災地の皆さんのたくましさを感じた。
何もなくなった土地が広がっている光景だが、行く前に心配していたほどの衝撃はなかった。地元の皆さんやボランティアの努力で、あまりにもきれいに片付いている景色であったし、行ったことはあるものの、遠い昔のことで、活気に満ちた町の様子が目に焼き付いていなかったからかもしれない。だが。この土地の震災前の写真、震災直後の写真を見たとたんに衝撃を受けた。この地がそうだったのだ、と、あらためて頭を下げ、手を合わせた。

仙台で前日にあった学会の懇親会のテーブルに並んでいた一升瓶の中で、特に人気があって、おいしかった石巻の酒は被災した蔵元のものであった。買って帰ろうと探したが、残念ながら見つからなかった。「日高見」である。その懇親会の前にあった特別講演会では、震災時の様子やその後の地元の人たちの復旧に向けた努力や全国からの励ましについて、エピソードを交えてビデオも使って紹介された。会場の大先生も、大社長さんも、ハンカチをぐしょぐしょに濡らしながら聞いた。

帰りに乗った仙石線は、線路を境に、黄金色に美しく実る田と浸水して黒褐色に沈む田に分かれる地帯を通った跡、途中の矢本から松島海岸までの不通区間を代行バスに乗り換えて通った。電車が流された惨憺たる光景を映像で見たところである。今も、電車の架線柱は倒れかかったまま列をなし、まったく復旧工事の気配もなく放置されているし、野蒜では店や民家は壊れたまま死の町となっていた。ショックを受けた。小学校のときにクラス全員で海水浴に来た美しい海岸だ。さらに、バスの窓から一瞬、土台だけになった一角の真ん中に、花束が置かれている光景が目に入った。お彼岸なのだ。
代行バスの終点である松島海岸では、何事もなかったように観光客があふれていた。こちらの方がさらに衝撃的であった。


塩釜では、駅の周辺に痕跡は殆どなかった。浸水の深さを物語っているらしい壁に残った筋と、山積みにされた漁船やレジャーボートの残骸のほかには、だが。
 
home       残像の目次へ