開始日時 | 2018/05/26 06:10:31 | 終了日時 | 2018/05/26 14:27:36 |
水平距離 | 25.14km | 沿面距離 | 25.16km |
経過時間 | 8時間17分05秒 | 移動時間 | 6時間16分16秒 |
全体平均速度 | 3.04km/h | 移動平均速度 | 3.87km/h |
最高速度 | 8.48km/h | 昇降量合計 | 270m |
総上昇量 | 190m | 総下降量 | 80m |
最高高度 | 181m | 最低高度 | 53m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
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START | 06:10:31 | 0.00km | 69m | ||
00:04:48 | 0.40km | 4.4km/h | ↑0m ↓1m | -0.25% | |
福島宿本陣前スタート | 06:22:10 | 0.40km | 68m | ||
01:48:01 | 7.46km | 4.0km/h | ↑9m ↓16m | -0.09% | |
瀬上宿 | 08:49:00 | 7.86km | 79m | ||
01:27:56 | 5.77km | 3.9km/h | ↑35m ↓17m | 0.31% | |
桑折宿 | 10:37:33 | 13.63km | 80m | ||
01:19:24 | 5.36km | 3.9km/h | ↑22m ↓27m | -0.09% | |
藤田宿 | 12:24:30 | 19.00km | 75m | ||
01:31:23 | 5.97km | 3.8km/h | ↑117m ↓17m | 1.68% | |
貝田宿:貝田駅前 | 14:14:40 | 24.97km | 183m | ||
00:04:44 | 0.19km | 1.9km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
GOAL | 14:27:36 | 25.16km | 181m |
2018/05/26 06:22:10
今回も6時すぎの出発である。この日、福島山車祭りが行われることを知った。20台以上の山車が集まるとのこと。ここにもう一泊するので戻ったら覗いてみる
2018/05/26 07:08:23
早朝なのに、もう待っている人がいる
2018/05/26 07:44:43
この先、電車道と呼ばれる道が旧街道である。福島から飯坂温泉の湯野に行く軽便鉄道が走っていたそうだ
2018/05/26 08:29:13
福島学院前駅でくぐった。タイミングが合わず、電車は見ることができなかった。東北本線の前身の日本鉄道が、福島から槻木までのルートを計画したとき、この阿武隈急行とほとんど同じルートを候補としたという
2018/05/26 08:38:52
急に、雰囲気のある街並みが登場した。庄屋を務めた旧島貫家大学
2018/05/26 08:49:00
近くに備中足守藩分領瀬上陣屋跡がある。阿武隈川には瀬上河岸もあって、繁盛した宿場だったようだ
2018/05/26 09:04:34
阿武隈川の支流である。あと800メートルほどで合流する
2018/05/26 10:02:27
相馬福島道路(霊山~福島)とある。被害の大きかった浜通りに首都圏や仙台方面ととつなぐ高速道をつくる一貫らしい。早期の完成を期待したい
2018/05/26 10:30:29
ここから桑折宿が始まる
2018/05/26 10:37:33
奥に旧伊達郡役所がある
2018/05/26 10:38:39
桑折陣屋跡に建つ。現在は桑折町文化記念館である
2018/05/26 10:48:29
この辺り、土蔵造りや格子も多く、旧街道の雰囲気が残っている
2018/05/26 11:01:47
左が羽州街道で、小坂峠、金山峠を経て山形、新庄、横手、秋田へ。ここから少し行くと、銀山栗和田とか南半田という地名がある。佐渡などとともに三大銀山と言われた半田銀山があったところという。半田付けの語源になったそうだ。 右が奥州街道である。間に大きな標識が立っている。
2018/05/26 12:24:30
旅籠が14、揚屋が18もあって近隣の村人も集まる気楽な宿場だったそうだ。半田銀山の労働者も遊び、問題も起こしたという
2018/05/26 13:07:50
阿津賀志山(あつかしやま)の戦いのあったところである。1189年、頼朝軍と欧州藤原氏が戦い、奥州合戦の帰趨を決定づけた山だった。街道はその山のふもとを回る
2018/05/26 13:48:06
2018/05/26 13:54:44
クズのつるがひどく茂っていて、足を取られるため、しっかり見えるところまで行くことができない。旧日本鉄道、現在の東北本線が開通したときの橋であるが、蒸気機関車の煙による火災被害が多発して明治41年には大火があったため、この付近の線路を北側の現在地に移設して残った旧線の橋である
2018/05/26 13:56:57
レンガ橋の上に、説明が表示されている
2018/05/26 14:02:00
庚申塔が並ぶ秋葉堂の裏から見下ろした現在の東北本線の線路である。この辺りで左手前に行く旧線路があったらしい
2018/05/26 14:07:11
長さ四丁(435メートル)、戸数約60の宿場町だったが、たびたびの大火で焼失して面影はない
2018/05/26 14:14:40
ここを本日の終点とした。一泊後、ここから再スタートする