越ヶ谷-栗橋  青ライン:計画ルート  赤ライン:実際に歩いた軌跡

マーカーリスト

第2日-越ケ谷-栗橋#1

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2013/10/14 06:51:34終了日時2013/10/14 17:07:09
水平距離36.86km沿面距離36.86km
経過時間10時間15分35秒移動時間8時間44分51秒
全体平均速度3.59km/h移動平均速度4.14km/h
最高速度9.76km/h昇降量合計28m
総上昇量18m総下降量10m
最高高度14m最低高度5m

区間解析

地点名通過時刻
移動時間
積算距離
区間距離
平均速度標高
獲得標高
平均勾配
越ケ谷駅入口06:51:340.00km 6m 
 00:20:401.06km2.9km/h↑1m ↓1m0.00%
越ケ谷宿本陣跡付近07:17:281.06km 6m 
 02:14:4410.41km4.6km/h↑5m ↓4m0.01%
粕壁宿本陣跡付近09:46:5111.46km 7m 
 01:54:498.00km4.1km/h↑5m ↓3m0.03%
杉戸宿・本陣跡地前交差点12:09:0619.46km 9m 
 01:46:286.87km3.7km/h↑1m ↓0m0.01%
幸手宿本陣知久家跡14:26:3026.33km 10m 
 01:55:478.52km4.4km/h↑5m ↓1m0.05%
栗橋本陣跡:発掘中だった16:30:0034.84km 14m 
 00:32:232.02km3.7km/h↑0m ↓0m0.00%
GOAL17:07:0936.86km 14m 

写真レポート


越ケ谷駅入口

2013/10/14 06:51:34

越ケ谷駅入口

前日の終点から再スタート。越ケ谷宿本陣は先にある



元荒川・大橋

2013/10/14 07:14:44

元荒川・大橋

荒川が熊谷あたりで分岐して流れる荒川系の川だが、古代、途中で会の川経由で下る利根川の本流と合流して、当時このあたりは利根川の本流だった。その当時、利根川の水は隅田川から江戸湾に流れていた



越ケ谷宿本陣跡付近

2013/10/14 07:17:28

越ケ谷宿本陣跡付近

大松屋福井家があったはず。表示は見当たらない。この先から右に、野田街道(常陸道)が分岐している



宮内庁埼玉鴨場

2013/10/14 07:43:57

宮内庁埼玉鴨場

この奥に鴨池がある。元荒川の水を取り込んでいるのだろう



粕壁宿本陣跡付近

2013/10/14 09:46:51

粕壁宿本陣跡付近

この交差点付近に本陣があったと思われるが、表示はない



大落古利根川

2013/10/14 09:55:48

大落古利根川

おおおとしふるとねがわ、と読む。寛永年間の関宿近くでの江戸川掘削まで、利根川の本流はここを流れていた。大落とは、田で使った水を流す水路、という意味らしい。キャスリーン台風の時には、この川もこの近くで決壊したようだ



幕末の建物は今、スポーツクラブ

2013/10/14 10:16:18

幕末の建物は今、スポーツクラブ

油屋、一升屋などの店が並んでいたらいい



大落古利根川・新町橋

2013/10/14 10:20:08

大落古利根川・新町橋

大落古利根川は、今、中川と合流している



小渕の一里塚跡

2013/10/14 10:28:32

小渕の一里塚跡

石標だけでもあればうれしい。ほとんど何も残っていないので。



関宿道との追分

2013/10/14 10:32:44

関宿道との追分

右の路を行くと、関宿に向かう。関宿は、利根川の流れを変えて東京湾ではなく、銚子の太平洋に流そうとした幕府の大河川工事の要所であり、利根川、江戸川を利用した水運の、かなめの地でもあった



杉戸の大落古利根川

2013/10/14 11:42:58

杉戸の大落古利根川



杉戸宿本陣跡付近

2013/10/14 12:09:06

杉戸宿本陣跡付近

ここにも、何もない



杉戸宿・本陣跡地前交差点

2013/10/14 12:09:06

杉戸宿・本陣跡地前交差点

明治天皇御小休所跡の石碑が近くにあり、交差点の名も「本陣跡地前」だが、本陣跡の標識は見当たらない



幸手・日光御成道との合流点

2013/10/14 14:00:41

幸手・日光御成道との合流点

将軍が日光参詣する時に、この御成道を通ったという。川口、鳩ヶ谷、岩槻を通る道である



幸手宿本陣知久家跡

2013/10/14 14:26:30

幸手宿本陣知久家跡

今は、割烹・蒲焼の店と書かれている



権現堂堤

2013/10/14 15:00:02

権現堂堤

権現堂川は、かつて利根川の本流で、暴れ川として恐れられ、洪水の被害は遠く江戸にまでおよび、大江戸八百八町の半ばは水浸しになると言われた。流路の締め切りやそれに伴う築堤が後につながり、権現堂堤になったといわれる



行幸橋

2013/10/14 15:02:45

行幸橋

明治に入って、権現堂川の洪水防止のための堤防強化が行われ、立ち寄った明治天皇が工事の労に感じ入ったという。行幸堤と呼ぶようになり、村名も行幸村となったことによる橋の名である



右つくば道

2013/10/14 15:14:17

右つくば道

川妻道と呼ばれた



2013/10/14 15:35:07

注意!!ここで右折を忘れた

やはり、右折するのが正解か



栗橋本陣跡:発掘中だった

2013/10/14 16:30:00

栗橋本陣跡:発掘中だった

利根川堤防下にある本陣跡は、なんと遺跡発掘中であった。埼玉県埋蔵文化財調査事業団によるもので、そのWEBサイトに説明が出ていた



栗橋で旧道を探す

2013/10/14 16:16:05

栗橋で旧道を探す

旧道が4号線の栗橋交差点に出て、その先の旧道、県道60号線へのルートがわかりにくい。4号線の左側道を下ると国道125号線の壁にぶつかる。壁に沿って、空き地を行くと右に曲がって国道をくぐるトンネルに出る。トンネルを出た、その先にこの住居表示案内図がある。直進すれば県道60号線である



栗橋関所跡

2013/10/14 16:34:10

栗橋関所跡

実際の関所は、堤防の内側、利根川のほとりにあったという。東海道の箱根、中山道の薄井とならぶ重要な関所で、入り鉄砲と出女を取り締まった



利根川橋

2013/10/14 16:39:30

利根川橋

川向うは中田宿。茨城県である



静御前の墓

2013/10/14 16:58:40

静御前の墓

JRと東武鉄道の栗橋駅の駅近くにある