開始日時 | 2013/10/13 06:56:04 | 終了日時 | 2013/10/13 15:57:14 |
水平距離 | 30.70km | 沿面距離 | 30.72km |
経過時間 | 9時間01分10秒 | 移動時間 | 7時間16分36秒 |
全体平均速度 | 3.41km/h | 移動平均速度 | 4.10km/h |
最高速度 | 14.06km/h | 昇降量合計 | 63m |
総上昇量 | 32m | 総下降量 | 31m |
最高高度 | 9m | 最低高度 | 0m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 06:56:04 | 0.00km | 5m | ||
00:03:54 | 0.26km | 4.0km/h | ↑0m ↓2m | -0.77% | |
日本橋出発 | 06:59:58 | 0.26km | 4m | ||
01:20:18 | 5.79km | 4.3km/h | ↑7m ↓6m | 0.02% | |
浅草寺 | 08:24:24 | 6.05km | 5m | ||
01:02:55 | 4.33km | 4.0km/h | ↑2m ↓6m | -0.09% | |
千住大橋 | 09:41:03 | 10.38km | 2m | ||
00:28:07 | 1.59km | 3.2km/h | ↑1m ↓0m | 0.06% | |
千住宿本陣跡 | 10:17:27 | 11.97km | 3m | ||
02:17:17 | 10.18km | 4.4km/h | ↑12m ↓10m | 0.02% | |
草加宿本陣跡? | 13:09:22 | 22.15km | 5m | ||
01:56:22 | 8.01km | 3.9km/h | ↑6m ↓5m | 0.01% | |
越ケ谷駅入り口 | 15:49:31 | 30.16km | 6m | ||
00:07:43 | 0.56km | 4.3km/h | ↑0m ↓1m | -0.18% | |
GOAL | 15:57:14 | 30.72km | 5m |
2013/10/13 06:59:58
4時起きで日本橋に立った。前回は、中山道や東海道に出発する人たちで賑やかだったが、今回は誰もいない
2013/10/13 07:07:45
この時間、ショーウィンドウが閉まっているが、歩道に広がるこの鮮烈なパターンと展示がマッチしているのだろうか
2013/10/13 07:35:40
千住大橋ができる前は、大伝馬町が宿駅だった。伝馬の名の由来である。千住大橋ができて、伝馬町や横山町が繊維問屋街になった
2013/10/13 07:43:53
広重の江戸名所百景のうち、3枚がこの両国橋付近を描いたものである。隅田川は、浅草付近では浅草川、浅草寺本尊の観音像が出たため宮戸川とも呼ばれた。もともと荒川であって、千住大橋まで、荒川とよばれていた
2013/10/13 07:47:22
料亭が軒を連ね、柳橋芸妓で知られた柳橋一帯だが、近くには、武家屋敷や浅草米蔵など、水運による物資の流通拠点もあった
2013/10/13 07:51:37
電車の駅名としての認識しかなかった浅草橋は健在であり、先の柳橋との間は、屋形船の基地となっている。江戸料亭街の名残だろうか
2013/10/13 08:24:24
巨大な提灯は、現在、メインテナンスのため京都に出かけているとのこと
2013/10/13 08:44:44
ルートからは隅田川が見えないが、途中、蔵前橋、厩橋、駒形橋でも広重は描いている。スカイツリーのある風景も隅田川にマッチしている
2013/10/13 09:14:10
20万人が刑死したという刑場跡である。この大きな地蔵さんは、東日本大地震のときに左腕が落ちたという。今は治療が終わっているが、大工事だったようである
2013/10/13 09:27:56
この前で、古奥州街道と合流する。陸羽裏街道とも呼ばれた道らしい
2013/10/13 09:41:03
芭蕉は、深川からの舟をここで降りて、三千里の「おくの細道」に旅立った。ここまでが荒川で、この橋より下流が隅田川だったが、今、荒川は人工水路が掘られて、ここを流れていない
2013/10/13 10:17:27
青物問屋跡が「やっちゃ場跡」としてPRされているが、宿場の中心である本陣などは、さらに先の北千住駅の近くである。元気な商店街であるが、残るのはこの表示だけである。表示があるだけ、立派ではあるが
2013/10/13 10:53:12
寛保2年の大洪水、明治43年の大洪水で隅田川が氾濫し、大被害を受けたため、もとは何もなかったところを掘って川をつくったのである。今、荒川と呼んでいるが、かつて「荒川放水路」と呼ばれていたころが懐かしい。その災害や掘削工事については、http://www.ktr.mlit.go.jp/arage/learn/history/history04.html に説明されている
2013/10/13 13:09:22
千住宿跡を出てから、く旧街道の雰囲気を残していない道を、延々と歩いて草加に着いた。あらかじめ調べておいた本陣跡と思われる場所に行ったが、そこは日焼けサロンであった。何の表示もない。帰ってから、案内所でもらった資料で調べると、この近くに、大川本陣跡石碑、清水本陣跡石碑があるようだ。見落したようだ
2013/10/13 13:59:33
ここが旅人向けの休憩所、案内所である。逆コースならよかったが・・・。
2013/10/13 14:07:35
綾瀬川を使った舟運の河岸跡である。公園に芭蕉像、その前に曽良像がある。
2013/10/13 14:12:29
松並木が続く。古木は少ないようだ。市長の寄付で、今、「634」本になったという
2013/10/13 14:47:26
綾瀬川を渡って、越谷市に入る。
2013/10/13 14:50:45
埼玉県の旧日光道沿いに現存する唯一の一里塚。貴重な存在である
2013/10/13 15:49:31
越ケ谷の本陣跡はまだ先であるが、区切りとして、本日はここまで。明日、ここから再開する