碓氷峠越え
 決戦にのぞむような心境である。 中山道最大の難所といわれる碓氷峠である。 標高388mの横川から1194mの碓氷峠まで標高差800m余りだ。 江戸時代の旧中山道のほかに、部分的だが古道である東山道や、旧中山道から分かれる皇女和宮が降嫁の際に作った和宮道、そして明治天皇のために作られた御巡幸道などがある。 幕府の防御上の都合でわざわざ厳しい道を通したと聞いているが、その後、いろいろな新道が出来ているのは、あまりにもきつい道だったかららしい。

 安中市が行っている安政遠足(とおあし)のコースと共通する部分では、その標識が大いに助けてくれるが、そうではないところで旧中山道を案内する標識は殆んどない。 けもの道のような旧道には草が茂って踏み跡が見つからないところさえある。 二万五千分の一の地図にも出ていない道である。 峠を越えたあとも軽井沢に向けて降りる道では、車道のガードレールに阻まれてどこから入るのかも分からない。 迷いやすいとは聞いていたが予想以上であった。 中山道をPRしている行政はパンフレットを作るだけらしい。

 しかし、独り歩きの心細さから前日になって急遽入手したGPS受信機のおかげで、大きなロスもなくエゾハルゼミの大合唱が迎えてくれる峠にたどり着いた。 軽井沢までの、人影のない旧道の下りも無事に歩くことが出来た。 立ち止まることを許してくれない、虫の大群の襲撃には少々閉口したが、これも事前に知ったので、虫除けスプレーを持参して切り抜けることが出来た。

 峠の分水嶺上に建つ峠の茶屋のご主人に励ましてもらった。 碓氷峠に較べれば次の難所、和田峠はさほどでもないという。 標高が1600mもあり、標高差も大きそうで、地図を広げてはため息をついていたのだ。 本当ならうれしい。

 軽井沢宿はいわゆる旧軽井沢である。 聞いてはいたが、原宿なみの町並みと人出に驚いて、急いで通過した。  旧本陣跡などを示す標識は一切ない。 華やかな町を出て、「沓掛」という素朴ですばらしい地名が残念ながら消滅してしまった沓掛宿、現在の中軽井沢まで、久しぶりの平坦な道を急ピッチで歩いた。 街道歩きの奇妙なスタイルは別荘地にふさわしくないし、碓氷峠無事通過を早くビールで祝いたかったからである。 

 中軽井沢駅前の老舗の蕎麦屋で、電車待ちの時間にひとり乾杯した。 瓶ビールの味は、生涯で二番目のうまさであった。 殆んど最高得点である。 これまでで一番うまかったのは、旧東海道の桑名の旅館で飲んだビールである。 このときも今回同様に朝4時起きで、知立から宮宿経由でせいいっぱい歩いたあと、暗くなって旅館に着いた。 そのまま、旅館の息子さんがクルマで送り迎えしてくれる温泉にたっぷりつかり、徹底的にのどを乾かしてのビールだった。 名物の蛤と白魚が食欲を猛烈に刺激してくれたこともある。 これほどうまいビールはほかに記憶がなかったのだ。 今回のビールも、そのときにかなり近い味であった。 急坂の峠を越えた疲れと、なんとか通り抜けた安堵感、そして、駆け抜けた軽井沢の繁華街で、ビールののぼりがはためくレストランを横目に見て 喉の渇きが高まったからだろう。 この蕎麦屋さんの若い店員の心のこもったもてなしがうれしい。 気持の良い店だったし、店内には昔から多くの人たちの間で評判の味らしい痕跡があることから、時計を見ながら思わず予定外のざる蕎麦も注文した。とてもうまい蕎麦であった。 もちろん手打ち蕎麦である。 帰ってから調べて分かった。 この蕎麦屋さんは、沓掛宿の旅籠であった鍵本屋が明治初期に蕎麦屋に転業したという。 なるほど。 江戸から信州まで歩いて来て味わった正真正銘の信州そばである。
 ともかくも、うれしい峠越えであった。