中山道の格子
 下諏訪宿に来て、「出梁造り」とともに、「竪繁格子(たてしげこうし)」がこの宿場独特の様式であるとの説明があった。 しかし、これには少々とまどった。 東海道以来、街道を彩る格子の代表的な形は「連子格子(れんじこうし)」であると書いてきたからである。 中山道でも本庄、高崎あたりから連子格子が増えて、ここ下諏訪宿に入り、有名な三つの源泉湯を通る雰囲気ある旧道にも多くの格子が見られる。 これらも同じように見えるので、連子格子だと思っていたのだ。 「竪繁格子」 と 「連子格子」 の違いが分からない。

 そこで、手元の民家建築関係の写真集やWEB検索で調べてみた。しかし、これらの書物や建築用語辞典類に 「竪繁格子」 なる単語は全く出てこない。 WEBサイトの検索では、下諏訪と木曽路紹介に関するページにのみ、この単語は出てくるが、どれも同じように、まるで枕詞のように 「出梁造りと竪繁格子の家々が並ぶ木曽路の下諏訪宿」 などと書かれているだけで、その構造や特徴には全く触れられていない。
下諏訪・「まるや」の「竪繁格子」
和田宿・「本亭旅館」二階の格子・「空き」が大きい
東海道・関宿の格子・こちらは「空き」が小さい
東海道・大津宿の格子・これも「空き」が小さい

 少しばかり格子について調べてみて驚いた。 手元にある本の、格子の写真説明から拾っただけでも、「格子」の入った単語や格子を使った窓などの用語がたいへん多いのである。 「べんがら格子」、「連子格子」、「千本格子」、「出格子(窓)」、「木連格子」、「しし窓」、「無双(連子)窓」、「切子格子」、「小間返し格子」、「吹寄格子」、「面格子」、「平格子」、「舞良格子」、「吊り格子」、「物見格子」、「人見格子」、「仕舞多屋格子」、「倉敷格子」、「狐格子」、「京格子」、「江市屋格子」、「問屋格子」、「丸太格子」などなど。 構造を表すもの、目的を表すもののほか、地方色を感じさせる名も多い。

 にもかかわらず、「竪繁格子」なる語はない。 そこで、竪繁格子であるという下諏訪の格子の写真と、書物にある数十枚の格子の写真を比較して、形の上での違いを探してみた。 そして気付いたのは、「竪繁格子」 は、竪(縦)の組子(竪子、縦桟)が密度高く組み込まれ、すき間(空き)が少ないのではないか、ということであった。  まさに文字通り、ということなのだが。

 そもそも「連子格子」とは何か。 明治以前の諸文献を引用して、明治時代に編纂された「古事類苑」によると、「格子ハ、・・・・、其用ハ屋ノ内外ヲ防隔スルナリ。 格子ノ制作ハ角木ヲ縦横ニ組ミタルモノニシテ、其細密ナルモニ至リテハ、僅ニ明ヲ取ルニ足ルノミ。 ・・・・猶ホ転ジテハ、木ヲ縦ニ連ネテ櫺子(れんじ)ニ作リタルヲバ専ラ格子ト称シ、・・・」(増田 正:「壁・窓・格子」、株式会社グラフィック社) とある。 また、倉敷市文化財保護課のWEBページによると、「連子格子」とは、「竪子の幅の1から3倍の空きをとった格子」を云うらしい。 

 もうひとつ、格子を利用した建具である障子について、その組子による分類に 「竪繁障子」 と 「横繁(よこしげ)障子」 があることを知った。 竪子と横子のどちらが多いか、という区別である。 関東では横組子の多い 「横繁障子」 、関西では縦組子の多い 「縦繁障子」 が好まれるという。 もしも、格子の場合も単純に、この障子と同様のことをいうのであれば、街道で見てきた連子格子は、どれも「竪繁格子」ということになる。 なお、「横繁格子」に相当する、横子中心で出来ている格子は、上に並べた格子の呼び名のうち 「舞良格子(まいらこうし)」 がそうである。

 そこで素人判断である。 「連子格子」 の中でも、空きの小さい (1:1などの) タイプを 「竪繁格子」 というのかもしれない。 少なくとも、「竪繁格子」 は 「連子格子」 と称される格子のうちの一種でではないか。

 しかし、腑に落ちない。 東海道歩きのときに撮った写真を改めて調べてみると、東海道の途中でも、京都でも、こうした比率が1:1程度の緻密な格子があちらこちらで見られるのである。 しかし、これらを 「竪繁格子」 と呼ぶ場面には出会わなかった。 下諏訪独特、あるいは木曽独特というが、それがどの部分なのかがわからない。

 そして思った。 京都の町家で流行した格子が、日本の風土と日本人の美意識にマッチして、宿場だけでなく、農村や山村にまで広がったと云われる。 格子は、その美しさと機能的合理性から、様々な用途目的への展開や、気候に合わせて、あるいは建物の形、機能との調和に向けて、各地で独自に進化、洗練されてゆき、その地方独特の形が生まれたのだろう。 そして、その土地独特の呼び名もごく自然に生まれたのであろう。  「格子」を使った用語がたくさんある理由のひとつは、ここにあり、「竪繁格子」 もそうに違いない。 

 下諏訪、木曽路独特であるとの理由は、単に竪格子の空きの大きさだけではなく、こちらがまだ気付いていない、微妙な特徴があるのかもしれない。 あるいは、結果的に形は他と似ていても、木曽や下諏訪の風土のもとで、地元で独自に工夫され、洗練されてきた成果だからそういうのだろうか。 興味は尽きない。

 格子は、美しさだけでなく、そのものの本来の役割である通風と採光、そして戸締りの機能を追って、実に多彩なバリエーションがある。 例えば、採光のために格子の上半分の竪子の数を減らした「切子格子」の工夫は見事で美しいし、縦子の間隔に変化を持たせた「吹寄格子」も典雅である。 また、格子の裏に、簾を懸けたり、障子を立てる工夫が、飛騨高山の洗練された美しい町並みを強く特徴づけているように思う。 高山の格子は、簾や障子との組み合わせをデザインの基本としているためだろう、竪子の密度は大きくない。 空きの大きい格子であることが特徴ではないだろうか。 一方、下諏訪や、あるいは近江路、京都の、そう呼ばれているかどうかは別として、空きの少ない竪繁格子は、格子自体の緻密さが、格子自体の繊細さと格調を生んでいるように思えてきた。

 これまでも、格子が街道の雰囲気を盛り立てる主役だとは思いながら歩いてきたが、改めて注目してみると、多くは素朴であり、それが美しいのだが、 時には繊細さにハッとし、そして、場合によってはダイナミックで意外な構成美に驚くことがある。  旧中山道の 「出梁造り」 との調和がまさにそうであるし、旧東海道で、その大胆で意外な構成が生むコントラストの美しさに大変驚かされた 「つし二階建て」 の、中二階の塗籠の連子窓と一階の連子格子の組み合わせもそうであった。 格子が、民家、商家建物の形において、美しさを演出する、実に重要な構成要素であることを改めて再認識し、実感した気がする。

 これから木曽路に入って、さらに、独特の建物の光景が現われるであろう。 中山道でまだ見ていない板屋根が、いつ現われるかと待っているのだが、「竪繁格子」をはじめ、美しい格子たちにもさらに注目してみたいと思う。 楽しみである。