鉄道や国道からは見えない街道の顔
クルマからでは街道は見えない
  
 この「ゆっくり・きょろきょろ旧街道を歩く」シリーズのページを見てくださる方から、ときどき聞えてくるのが、「中山道をクルマで走ったけれど、あんな見事な雀おどしはなかったよ」とか、、「19号線を歩いたんでしょ。 私もそこを走ったけれど、こんなきれいな家並みはなかったわよ」などの声である。

 宿場には商家が多いから、道路側は出梁造や格子などの立派な造作が施されている。 宿場ではなくても、また商家でなくても、街道に面した家々は、よそゆきの顔で道行く人たちに挨拶し、あるいは家の格式を誇っている。 このよそゆきの顔が、伝統的な景観をつくり、旧街道を歩く楽しみを与えてくれる。

 しかし、美しい街道風景は、生活や産業の近代化による建築物の更新だけではなく、国道を整備、拡張するためにどんどん壊されてしまった。 道幅を広げ、カーブをゆるやかに直し、坂道もゆるやかな勾配となるように大幅な手直しがされたのである。 明治以降、いつの時代にどの程度手を加えたかにもよるが、伝統的な家々は次々に壊され、多くの場所で旧街道の面影が消滅したのである。 しかし、旧道を手直しする程度ではどうにもならないところも少なくなかった。 幅を広げたり、カーブをゆるやかにするには地形的に無理であったところなどでは、旧道の近くだが、別に新しい道やトンネルが作られた。 だから、国道をクルマで走るということは、整備という名のもとに破壊された道か、さもなければ新しく作られた道を走ることになり、旧街道の雰囲気は殆んど味わえないのである。

 旧道を手直しする程度ではどうにもならなかったところでは、別に新しい道がつくられたから、旧道が残って、その雰囲気をしっかり楽しめるのである。東海道も、中山道も、こだわって歩けば、想像以上に旧道が残っている。 直感的に70%以上は、少なくとも最新の立派な国道を歩かずに済むように思う
  
鉄道からも街道は見えない

 旧街道の雰囲気が味わえないのはクルマだけではない。鉄道でも同様である。だが、その理由は道路とは違う。

 歩き終わって、疲れを感じながらも、満足感に浸って缶ビールを飲むのが、いつもの帰りの電車での楽しみである。ついさっきのことなのに、電車の窓から、歩いた道を眺めると懐かしさを覚える。 伝統的な美しい家並みの町を嬉々として歩いたあたりを、帰りの電車が通過するときには、その家並みをもう一度見たいと必死に探す。 歩きながらとは見る角度が違うから、新鮮な景色に驚くこともある。 しかし、だいたいにおいて、窓から見えるのは、ごく当たり前の、いわば裏庭の世界ばかりで落胆する。 洗濯機の残骸が無造作に捨てられていることもある。 文化に飾られてはいないのが普通である。
  
 道路の整備は徐々に進められたものの、大規模な国道整備は戦後のことである。 しかしその前、明治に始まった鉄道の開設は、地域にとって革命的な出来事であった。 中山道のうち木曽路と並行する中央本線(中央西線)は明治41年から徐々に開通していって、宮ノ越・木曽福島間が明治44年に開通して全線がつながった。 大変な交通革命、流通革命であったはずだ。 埼玉県の蕨宿のように、蒸気機関車からの排煙からの飛び火による火災など、鉄道開通による弊害を恐れて宿場付近の通過を拒否したところもある。 だからこそ蕨宿は発展から取り残されて、首都圏にありながら、当時の雰囲気が町並みが残っているとも言われる。 だが、多くの地域では、鉄道開設を熱烈に勧誘、歓迎した。 しかし、その鉄道が走り、駅が作られたことによって、街道の役割の重要性は大幅に低下し、宿場町も急速にさびれたところが結局は多かったという。 一部の大きな町以外は、地元にとって、恐らく、予想外の経済的打撃であっただろう。 まさに街道や宿場にとって不運だったのだ。 だが、現代の無責任な旅人の視点からは、成長から取り残されたために破壊を免れ、往時の街道や宿場の雰囲気が残ることになった幸運だとして喜ぶのである。
  
 交通や輸送の主役が街道から鉄道に変わったからといって、商家も住宅も町の裏を走る鉄道の方に、顔を向け直すわけにも行かなかった。 通過してゆく列車の窓に向かってよそゆきの顔を見せても仕方がないからであるが、そもそも、線路はできるだけ町並みを避けて敷かれたから、いわば裏を通ったわけである。 鉄道から見える町の姿は、ごく自然に街道の裏側ということになったのだ。 日本の家屋、特に商家は、欧州の石造りの家と違って、「表」と「裏」の姿が非常に違う。 その典型的な例は、大正時代から昭和初期に流行った「看板建築」で、道路側では一見洋風を装う形式である。 そうでなくても、よそゆきの顔は裏側の普段着とは全く違う姿である。だから、国道だけでなく、鉄道からも、宿場や街道の美しい家並みを見ることは出来ないのである。

 街道の景観を楽しむには歩くしかない、というわけである。
  
 なお、自動車時代を迎え、前述のような国道の整備が進んで、道路と鉄道の立場は再び入れ替わることになった。 地方の鉄道路線が次々に廃線となり、幹線である中央本線ですら、木曽の小さな駅では2時間に一本程度のワンマンカーしか止まらなくなってしまった。 こうした在来鉄道の衰退には、旧街道が消えてゆくのと同様の寂しさを感ずる。 鉄道のある風景が、今では街道の絵にしっかりなじんでいるからだろう。
  
 街道を歩くと、時代の激しい変化を、日常とは違った側面で感ずることになる。これも楽しみのひとつである。