旅日記-我ら青春の1ページ 東北(下北・十和田)の旅 第5日 小川原湖・倉内―上北―好摩―十和田南―大湯温泉 註: <文中の赤色の小さい文字は旅から帰った後に書き込まれた落書きです> 旅日記-わが青春の1ページトップへ戻る 東北の旅トップへ 前の日へ 次の日へ |
昭和37年10月5日 金曜日 天候 晴れ 水島 |
起床5時半。 夜中の2時頃、升谷の急病にあい、一時我々も看病する。 それにしても、オモシロイ本を読んでのぼせたのとはちゃうか? 5時15分現在、テントの中の温度は9℃。 たぶん外はそれ以下になっているだろう。 今回は換気窓もあり、大原の”それ”もなかったために中毒にならずにすんだ。 6時過ぎには準備を完了して、次の予定地に向かうべく、渡船場に行く。 すでに船は湖上、はるかなところに浮かんでいる。 我々はハシケに乗って、遠浅の湖上をしばらく行く。 船は我々3人だけの客を乗せて出発する。 右に八甲田山を望み、正面には岩手山、左に三沢の基地らしい姿を見ながら走る。 湖水は船の波打つ色に、どす黒く見える。 我々はしばらくデッキに立ち、次の船沢に向かった。 この地方には、湖畔の漁業が昔そのままの姿で行われている。 ボラを中心に、ウグイ、フナ、ハヤ、淡水ヒラメなどを採るために、湖岸近くにスダテを立てて、落とし穴を作って取る方法だそうである。 <船の人は大変親切にいろいろなことを教えてくれた> その後、いくつかの船場を通り、沼崎に到着。 そこから国鉄上北駅まで15分ほど歩いた。 各駅停車上野行きに乗る。 途中より小学生の団体が乗り込んでくる。 升谷と水島はひと眠りする。 大原一人は何かを考えている。 女の子にトランプをしようと話しかけたが、彼女らは昼飯の方が良いらしい。 我々は駅ソバでガマンする。 沼宮内で準急に乗り換え、好摩で降りる。 好摩で十和田南に向けて、各駅停車のカーに乗る。 右に左に山々は紅葉色づき、すっかり秋深くなっているようである。 升谷は相変わらず元気がない。 大原は前ととなりの女の子に気をくばっている。 あァ、おれはどうすればよいのか。 <外を見るさ> 2時間ほどで十和田南に到着。 駅前には和井内氏の家が立ち、リンゴが売られている。 とにかく、明日の田中、服部との再会のため、この近くの大湯温泉に宿をとることに決定した。 バスで15分ほどで大湯に着く。 営林署の保養寮へ電話をかけ、見事に振られる。 我々の近くには旅館の番頭が立ち並び話し掛けてくるが、秋田県庁の寮に出向いて交渉する。 ここも見事に失敗。 しかし、女将は親切にもいろいろ電話してくれ我々を元気付けてくれる。 ユースホステルか、開明館か、と迷ったが、結局大原の努力により亀屋と決定。 750円と高いが、通された部屋は正面に外湯があり、女湯がまるみえ。 これは、升谷のバテを少し楽にしたようだ。 大原は決定的瞬間を見たと喜んでいる。 温泉に大原と水島が入る。 升谷は寝ている。 温泉は良いなあ。 どこかのおじさんが入ってくる。 全国いたるところに旅行しているらしく、話題は豊富だ。 よくしゃべるんだ。 さすがの大原も沈黙が続く。 夕食が出た。 あたりは寒い。 大原と水島は下へテレビを見に行く。 大原は5歳の女の子にもてる。 水島は妬いている。 9時には部屋に帰り、30分ほどして眠りにつく。 現在の 大湯温泉 (亀屋さんが見当たらない) |