旅日記-わが青春の1ページその2 北海道一周 第11日  層雲峡  

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1960年(昭和35年)8月4日(木) 晴 のち小雨 のち 晴         mizu
                                          今日の地図

昨日温泉に3回(プールも含む)もつかったせいか、ぐっすり眠れる。 今日も最後に床を離れる。 洗顔、オツトメも2,3分ほど歩いていって行う。 8時に旅館を立ち、バスを待つがなかなかこない。 イライラする。 10分ほど遅れて5分ほどで駅に着く。 準急「オホーツク」に乗るがすでに満員。 我々はデッキに立って、あるいはねて、上川まで進む。 この間、僕は寝ていた方なので、何もわからない。 ただ皆が僕の顔を見て「面白い顔してるな」といっているのだけはわかる。<全くよくわかる。その気持ちが> 昨日の作戦会議では上川駅で再び寝る覚悟をキメていたが、どうもここではできそうもないと思った。 層雲峡行きのバスをまっていたところ、ちょうど「道内農協組合長会議」という団体さんらのバスが定員に充たないので、我々は他の10人程の客と共に乗せてもらう。 ガイドさん(いわゆるウグイス嬢)はいままでの内でいちばん美人ということで、他の三人は喜ぶ<水島だけ大喜びする>。 石狩川に沿って我々のバスは層雲峡へと進む。 右窓に大雪山連峰が見え始めると、また、ガイドさんの説明を聞くにつれ、大原、升谷、服部は登りたがる。<水島だけはどうしても熊をコワガル> 
 石狩川の上流に進むにつれ、大雪連峰を望みながら、右に左に絶壁が続く。 岩には各々名まえが付けられていて、説明を聞くにつ入れて、なるほどなあと思われるほどふさわしい岩ばかりだ<オトメ岩、アベック岩そして失恋岩><・・・は.....をあらわす> 我々一般乗客はバスセンターでおりる。 団体さんは層雲閣へ。 我々は作戦会議。 宿を探そうと思うが、どうも安そうなところがないので、国鉄の荘である桂月荘に交渉することを決定。 4時頃でないと部屋があるかないかわからないとのことなので、我々は昼食を作るために川岸に下りる。 今日のオカズは黄色辛入汁<カケ>御飯なり。 カレーというよりむしろ、カレー汁であった。
 途中雨にふられたが、あまりぬれるほどではなかった。 北海道旅行ではじめてハンゴウで炊いた飯であるから食欲は進む。 他の三人は意外に元気なく、二杯でダウン。 僕は残飯整理<後悔先にたたず> ツリ橋の上で記念写真。 再び交渉。 落着くことに決定。 まだ、部屋には客がいるため我々は温泉につかる。 今まで泊まった旅館の内でもっともキレイなこの部屋は石狩川を見下し、岩を見上げるという、層雲峡をみるにはもっともふさわしい部屋である。大原が洗タクすることを交渉してくれて我々の下着をゼンカク機で廻す。 廻すこと二回。 今までの汚れを全部ここで処分。 あすからはさっぱりするだろう。 
 夕食。 宿の主人が言ったようにこの宿の料理などは普通の旅館に於いては1500円が普通とのことなので、食いがえ(?)がある。 しかし、昼食の整理を自分でしたせいか、かんじんの夕食が飯一杯という小食もの。 他の三人は予感していたのであろうか。 この夕食に限って服部がいちばん大食<何の不思議もなく><見んなと同じ量を食べただけです>。小食が私です<全く意外>。 これもおもしろい結果。 食後、レコードを聞く。 このころより大原氏しょんぼり味噌のカス。 原因不明。 麻雀、トランプとゲームをして10時に目を閉じる。 となりの部屋の三人の女性<さかんにトランプを誘う>の声が眠りを起こさせる。
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