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小豆島は、当時、扁桃腺の熱で夢うつつでした。 その中で、寒霞渓とそこにいた猿が記憶に残りました。
そして、なぜかその後、オリーブの葉を見ると無性に懐かしさを覚えるのです。特別の思いがあるはずですが思い出せません。 |
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右は、岬の分教場の窓から
覗いた瞬間です
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小豆島といえば、二十四の瞳ですが、今回岬の分教場と、ロケに使われたオープンセットを利用した映画村を訪ねました。
大石先生と先生を慕った子供たちの素朴な姿と心の交流は、思い出すだけで涙が出ます。
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小豆島から、高松に戻って四国の西の端の佐田岬半島に向かう途中、1週間に一度たった5分間だけ開く跳ね橋を見ることができました。
伊予長浜の肱川(ひじかわ)河口にある、跳ね橋です。 |
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かつて、船と徒歩でたどり着いた佐田岬は、翌日から灯台が無人化となる日であった。 仲間のひとりH君の心の故郷である、対岸、九州・佐賀関の煙突をみつめました。 美しい夕焼けのもと、カレーライスの夕飯をつくりました。 やがて、漁火が映える夜景を見ながらもと来た道を戻り、夜半にはしけで別府からの船に乗り込んで八幡浜までもどったのでした。
今は、立派な道路ができて、灯台までの遊歩道も舗装されていました。 佐賀関の煙突は今も白煙を上げていましたが、よく見ると、煙突は2本となり、どうやら手前の方が昔からのもののようです。 その仲間の話によると、今はもう、この昔からの精錬所の煙突は使われていないようです。 |
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昔、船を下りて歩き始め、帰りには、夜中に「はしけ」を待った港と思われる、佐田岬漁港の民宿に泊りました。
岬アジ(ハナアジ)、岬サバ(ハナサバ)など新鮮でボリュームいっぱいの海の幸を楽しみました。 |
ツルボ |
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松山への帰り道、大洲と内子を訪ねました。 大洲は、静かな城下町で、再建したお城を中心に、ゆったりと蛇行する |
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肱川では、鵜飼も行われるとのことです。 橋の向こうに天守閣も見えています。
臥龍山荘やレトロなおはなはん通りなど、よき時代の香りが残され、懐かしさにうっとりします。
ポコペン横丁は残念ながら休日でしたが、昭和30年代と思われる広告やオート三輪が、この町の落ち着いた雰囲気とマッチして、今もこの時代にいるのではないかと錯覚を起こさせます。
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こちらが内子です。木蝋や和紙で富を築いた町の、商家が軒を連ねる、美しい伝統的な道でした。 |
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夜には軒下に出された、和紙で作られた紙灯篭に灯が入るようです。 坂道をのぼる灯火の列を想像し、越中おわら風の盆の八尾を思い出しました。 町練りの踊りの列が似合いそうです。 |
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