開始日時 | 2015/05/28 06:44:22 | 終了日時 | 2015/05/28 16:09:39 |
水平距離 | 23.80km | 沿面距離 | 24.04km |
経過時間 | 9時間25分17秒 | 移動時間 | 7時間00分53秒 |
全体平均速度 | 2.55km/h | 移動平均速度 | 3.26km/h |
最高速度 | 9.41km/h | 昇降量合計 | 901m |
総上昇量 | 497m | 総下降量 | 404m |
最高高度 | 557m | 最低高度 | 188m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
上野原本陣跡 | 06:44:30 | 0.00km | 264m | ||
00:34:29 | 2.07km | 3.5km/h | ↑8m ↓67m | -2.86% | |
鶴川宿 | 07:25:29 | 2.07km | 204m | ||
01:17:03 | 4.39km | 3.2km/h | ↑168m ↓25m | 3.28% | |
野田尻宿 | 09:13:38 | 6.46km | 356m | ||
01:18:52 | 3.74km | 2.7km/h | ↑164m ↓12m | 4.13% | |
犬目宿 | 10:54:34 | 10.20km | 505m | ||
01:14:36 | 4.92km | 3.8km/h | ↑48m ↓237m | -3.90% | |
下鳥沢宿 | 12:21:15 | 15.12km | 316m | ||
00:29:03 | 1.50km | 2.6km/h | ↑5m ↓1m | 0.27% | |
上鳥沢宿 | 13:24:13 | 16.62km | 317m | ||
00:55:57 | 3.38km | 3.5km/h | ↑32m ↓33m | -0.03% | |
猿橋宿 | 14:37:14 | 19.99km | 316m | ||
00:41:18 | 2.37km | 3.2km/h | ↑47m ↓23m | 1.02% | |
駒橋宿 | 15:35:32 | 22.37km | 344m | ||
00:20:34 | 1.37km | 4.0km/h | ↑15m ↓3m | 0.88% | |
大月駅 | 15:56:06 | 23.74km | 358m | ||
00:09:01 | 0.30km | 1.6km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
GOAL | 16:09:39 | 24.04km | 357m |
2015/05/28 06:44:30
6時半に再出発する
2015/05/28 07:25:29
宿場らしい雰囲気のある街並みである
2015/05/28 08:02:00
日本橋から19番目。もともとの位置とはちがうようだ
2015/05/28 08:36:11
旧甲州街道に沿って中央高速道が走り、その談合坂SA付近を越えると野田尻宿がある
2015/05/28 08:42:52
上野原の加藤丹後守の出城的な砦があり、甲斐を北条氏の侵略から守る武田信玄の東側の監視役だった。この写真は、芭蕉の「古池や・・・」の句碑である。この辺りに古池があったためか。
2015/05/28 08:50:01
青ルートが旧道に近いだろう
2015/05/28 09:13:38
中央道下り線の談合坂SAのすぐ北側
にある、集落は静かだが、高速道の音が
聞こえてくる
2015/05/28 09:21:42
予定ルートにしたがって、この標識「旧甲州街道大月・甲府方面」の向きとは逆に左に進んだ。しかし、ここは標識通りに行くのが正解だったようだ
2015/05/28 10:06:07
山梨県教育委員会の「歴史の道」にある通り右の旧道を進むことができることがわかった。したがって、ここから赤い線の軌跡が正しい。今井金吾氏による「今昔三道中独案内」でも本文には、こちらを行くように書かれているが、その地図では20号線直進の青ルートが描かれている。この先が「座頭ころがし」の難所だった
2015/05/28 10:32:49
座頭ころがしの山道を抜けた後に現れる。「旧甲州街道新田宿」とある。「いぬめ新田」と呼ばれた集落だったようだ
2015/05/28 10:54:34
北斎の「富嶽三十六景 甲州犬目峠」、広重の「富士三十六景 甲州犬目峠」で有名である。しかし、霞んで富士は全く見えなかった。絵の風景ほど見通しのきくところはどこか、と思った。「宝勝寺慈母観音付近といわれる」との説明が同寺に書かれていた
2015/05/28 11:27:14
片側だけだが、原形を残している。日本武尊伝説に「君恋坂」の伝説があるらしい。近くに、「君恋温泉」がある。「温泉」ではないらしいが、犬目峠の富士はここからの眺望、とも言われているという。
2015/05/28 11:37:27
上野原市から山梨県二つ目の大月市に入る
2015/05/28 12:21:15
犬目から250メートルほどを下って、20号線と合流したところが下鳥沢宿。この下鳥沢から上鳥沢にかけて、雰囲気のある家並みが続く。庇が深く、屋根には換気用の「気抜き」がついている。地元の方に聞くと、戦後の大火で焼けたが、もともと養蚕農家が並んでいたという。ものを干すなどの作業のための深い庇
だったという
2015/05/28 13:24:13
深い庇を支えるのは出梁や出桁だけでは無理だと思えたが、やはり釣ってあった
2015/05/28 13:51:18
20号線から右に入って旧道を進むと、途中に「この先行き止まり」とある。人は通れるのだろうと進んだ。わずかに踏み跡はあるものの、この写真の先は、バラのトゲのある枝などが茂って、通り抜けは困難である。なんとか強引に通ったが20号線を行くべきであった
2015/05/28 14:18:09
旧道の、この木製の独特な橋を渡った。木組みの面白さがよくわかる
2015/05/28 14:37:14
本陣跡は20号線と合流している地点にあるが、それらしき遺構はなにもない。
2015/05/28 15:08:17
青ルートが正解である。駒橋発電所で使った水の処理池の傍を歩いてしまった。迫力のある池ではあったが
2015/05/28 15:27:40
旧道への分岐点を間違えてしまい、青ルートのように、本来は少々手前で中央線を越えるべきだったのかもしれない。
2015/05/28 15:35:32
本陣跡は、この旧道が20号線と分岐するところにあったようだ。雰囲気を残す、とてもよい家並みである
2015/05/28 15:42:23
わずかな違いだが、今井金吾氏はもっと北を通るルートを、山口 徹氏(歴史の道 甲州街道を歩く)では
この青ルートを、そして、山梨県教育委員会による歴史の道・甲州道中 ではこの赤いルートである。
その教育委員会ルートを歩いたのである
2015/05/28 15:46:49
桂川を隔てた岩殿山である。武田家臣、小山田備中守の居城だった。武田氏滅亡の際、小山田信茂は勝頼を裏切った。
2015/05/28 15:56:06
大月宿本陣はまだ先にあるが、今回はここを終点とする