| 天険・親不知を越える |
| - 第1世代の道 - |
| いよいよ天険・親不知を越えることにした。難所と聞いていろいろ調べてみた。問い合わせた糸魚川市役所からは歩道がない洞門の国道は危険であるから歩かないで欲しい、との返信があった。WEBページによる先輩ウォーカーのレポートにも、大型トラックの恐ろしさが書かれ、なんとかこの洞門の道を通らずに行きたいとの苦心がいろいろ紹介されているが、3倍程も距離がある、きつい山の道
「上路(あげろ)」 を行く以外には、親不知の険を迂回する方法はないらしい。 街道歩きを楽しむだけの勝手な旅人の都合はともかくとして、この難所を越えることは古代から、中世、江戸、明治まで大変な苦労であったらしい。 難所を難所でなくしようとする先人の努力が、それぞれの時代の技術成果として道路を開通させた。 今、その4世代の道を垣間見ることができる。 静岡・糸魚川構造線を西端とするフォッサマグナ地帯を越えたところに屹立する北アルプスが、日本海に落ち込むところである親不知は、東日本と西日本をかろうじて結ぶ細い糸のような路であった。古代からの道は、崖下の狭い浜の道で、加賀の殿さまの大名行列も通った。危険な厳しい道で、親不知の地名の由来ともなった悲劇的な伝説もある。波静かのときには問題がないが、荒れているときには波が引いている合間に、岩壁に開けた避難穴から避難穴へと移動しながら渡り切ったそうだ。1週間も避難穴に閉じ込められたこともあったという。 これが第1世代の道である。 奥の細道の芭蕉ももちろんここを通ったが、曽良の日記によると、元禄2年7月12日、快晴の朝、能生を出て、途中早川で芭蕉がつまづいて衣を濡らして乾かしたあと、申の中尅(4時40分ごろ)に市振に着いた、という。 奥の細道には、その日に宿をとった市振で、「今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどいふ北国一の難所を越えて疲れはべれば、枕寄せて寝たるに・・・」 と遊女との出会いの話しの枕として、親不知に簡単に触れている。 この日、調べてみると新暦では8月26日である。芭蕉は、今回の小生よりも3日遅いだけの、ほぼ同時期に親不知を通過したことになり、今回と同じように、快晴の夏空のもと、まるで湖のように波ひとつない静かな海岸を、スムースに通過できたのかもしれない。 当時は、現代のような異常な暑さではなかったのだろう。 |
| - 第2世代の道 - |
| 旧街道を歩いていると、いたるところに明治天皇行幸の足跡が見られて、全国を周られたその精力的な行動に驚嘆する。 旧北陸道にも各地に天皇宿泊所の跡、小休止の跡が残されている。明治天皇の北陸行幸は明治11年だった。そのとき、古代からの海浜の道(第1世代の道) はあまりに危険すぎるということで、山の道(「上路」 だろう)、を通られて、地元では大きなショックを受けたという。そのことがきっかけとなって、第2世代の道が、厳しい岩壁を穿って造られた、その道が明治16年末に完成した旧国道である。第3世代である現在の8号線ができた今、その道の一部が遊歩道、通称コミュニティロードとして残されている。 これが親不知を越える第2世代の道である。今、歩行者と自転車だけが通行できる。ここには、建設当時の建設関係者の熱き思いが岩壁に刻まれている。 |
| - 第3世代の道 - |
| 古代からの、第1世代の道、波打ち際の浜は今、部分的に見るだけならば、テトラポットに埋めらた浜を青海側や市振側から行けるのだが、肝心な部分は水没して通ることができない。数十年前までは歩けたのに、水没してしまったのは、山からの急流を堰き止めて、砂や石が減ったためなどといわれているようだ。いずれにしても、今、親不知を歩いて通過することができるのは、残されている第2世代の旧国道部分を除いて、現在の国道8号線しかない。ここが、落石防止、雪崩防止の洞門が続く現代の難所である。第4世代の北陸高速道が出来たものの、この8号線は大型トラックがひっきりなしに走って、依然として大動脈である。この国道は岩壁を削って造られたゆえに、人が歩くことを前提とするほどの余裕がなかったようだ。 だから歩道はないし、路肩部分がとても狭い。白線の外側に30センチほどの隙間があるところは、広い方であり、10センチ以下しかないところもある。
今も、平成の難所といわれるゆえんである。 市振側の洞門の入口には、「死亡事故多発 歩行者、自転車に注意!!」 と表示されていた。危険なので歩いてはいけますせん、と云われていたから、緊張して洞門に入った。しかし、覚悟ができていたせいか、あるいは、まだお盆休み直後で道路の混雑が戻っていなかったせいか、さほどの怖さを感ずることもなく、むしろ洞門であるがゆえに、灼熱の太陽の光を浴びることがなく、右手には美しい海が広がって、すれすれに走り去るトラックは涼しい風をプレゼントしてくれる。 実に快適であった。赤色の点滅ライトを振って合図しつつ、大型トラックの運転手さんの眼を見ながら歩いたのだが、みなさんジェントルマンで、暑さ対策のために奇妙な格好で歩く旅人への心遣いも万全で、しっかり道を空けてくれた。信頼し、安心して歩けたことが意外でもあり、とてもうれしかった。 だから、このまま洞門が続いてくれた方がよかったのだが・・・。 |
| - 第4世代の道 - |
| 第4世代の道は、道路の一部やインターチェンジが海上にある、北陸高速道路である。 この高速道にしても、JR北陸線にしても、険しい海岸線に蛇行を繰り返してきたルートを、トンネルで一気に通過するよう大胆に変えてしまった。乗り物に乗っていては、かつての旧北陸道の面影を知ることは難しくなった。今、着々と進められている北陸新幹線が完成すれば、ますますそうなるであろう。 |