| 加賀の文化・加賀の人 | |
旧東海道、旧中山道、旧北国街道・北陸道と、いろいろな地方文化に触れてきた。今回だけでなく何度か加賀、金沢に行ったときの印象も含めると、これまで歩いてきた地域とはかなり違うことを感じる。旧東海道を歩いた時に、京都の文化が街道を下っていることを実感し、あるいは京都の文化を取り込もうと努めているらしい姿を見てきた。旧北陸道を越後や越中では加賀街道と呼んでいることからもわかるように、旧北陸道では金沢の文化が街道を下るらしいこと、あるいは金沢の文化に憧憬の念を抱いているのではないかと思われる街道沿いの町の様子を垣間見ることができた。さすが前田百万石文化である。その文化はカラフルで、華やか、しかも上品で特有の美しさをたたえている。輪島塗、山中漆器、加賀友禅、九谷焼、金沢仏壇、金沢箔、金沢漆器、七尾仏壇、牛首紬、加賀縫などの伝統工芸いずれもそうで、今の時代でも輝いている。あらためて勉強してみると、たとえば、加賀五彩(藍、臙脂、草、黄土、古代紫)と呼ばれる艶麗な色彩で特に紅色、紫、緑系統の色がよく使われ るという加賀友禅だ。カラフルだが、たしかに京友禅の豪華絢爛たるきらびやかさではなく、実に味わい深い、上品な色とデザインの世界である。右の、加賀五彩の色味本は長町友禅館ページによるものである。加賀のこうした文化は、もちろん、前田家が深くかかわっていたのだが、暖流と季節風、とくに冬場の高湿度、そして白山の存在とそこからの清冽な水、そして、北前船よりはるか昔からの海上の道、さらに、次々に出会う寺が殆どは浄土真宗であるという土地柄など、自然条件や人の暮らしなども当然関わってきたはずである。世界規模での論議ゆえに実に難解だが、劇作家、評論家、演劇学者で「柔らかい個人主義」でも知られた山崎正和先生は文化について、人間の歴史と文化をつくりだして行くのは、人間主体でも環境そのものでもなく、それらを生み出すもっと根源的なイメージであるという。(山崎正和ほか:日本人の美意識、朝日新聞社(昭和49年) もともと、何ごとも極めずにはいられない国民性が、この加賀という土地にしかない特別な条件のもとで発揮されると、こうした文化が生まれるということだろうか。生まれるべくしてこの地に生まれたとしかいいようがなさそうである。もし、前田家が金沢ではなく、仙台にあったらどうだったか、松山だったらどうだっただろう。他の大名が金沢を支配していたらどうだったのだろう、と興味は尽きないのだが・・・。 秀吉から家康への変化の中での前田家の苦悩が、徳川幕府対策としての文治政治に向かわせたといわれるが、豪奢な風が全国に広がっていた元禄のころ、中でも前田家の五代綱紀は「贅沢大名」の代表格だったといわれるのは、政治的安定のための戦略の成果だったのだろうか。加賀百万石の政策の最大の特徴は学問、美術工芸などの文化育成に重点を置くことで、戦乱を経験しないリーダーのもとで、大いに隆盛したが、民衆から生まれ文化はあまり見られないようだ。神輿が出るような祭礼は認められなかったそうだ。奥の細道の旅で、芭蕉の金沢への思いはかなり大きかったといわれれるように、庶民の文芸も勃興したという説もあるが、その育ち方は江戸や上方とは違っていたようである。すなわち、江戸や上方では文化が町人の力によって支えられていたのに対して、加賀では、町人はあくまでわき役で、主役は武士だったという。だから、町人文化ではなくて武家文化であり、大名文化だったのである。蔭で軽蔑していた江戸や上方とちがって、金沢では町人は本気で武士を尊敬していたという。(祖父江孝男:県民性・文化人類学的考察、中公新書)この辺りが、加賀の文化と他との違いに表れているのだろう。官民挙げての「極め方」で、力の入れ方が生半可ではなかったのだ。 原因なのか、結果なのか分からないが。加賀の人たちは、おとなしく、自分で判断できないといういわれ方がされている。例の、16世紀に書かれた人国記 (浅野健二校注:人国記・新人国記、岩波文庫)である。「越中強盗、越前詐欺、加賀乞食」 という。落ちぶれた時の状態で三国の気風の違いを表したもの。 バイタリティのある富山、抜け目のない福井、プライドが高くておっとりしている石川ということだ。 プライドが高く、忍耐力があって、努力するのだが、決断が出来ないから、結局は落ちぶれてしまうと物乞いしかできない、というわけだ。このことから加賀の商家では「養子は越中からもらえ」という格言があり、 男の子より女の子が生まれた方が喜ばれたという。 「おもしろ金沢学」(北國新聞社など)によると、金沢の商人は見栄っ張りで、勝負どころで決断できない。 こうした人を「調子が高い」とか「ズコ天」という。 また、ごますりで世渡り上手な人を「うまいもんのごっつぉ食い」とか、 おいしいとこ取りの人を「上伝(うわづた)いな人」 「高伝いな人」「ハイチョボの世渡り」ともいうそうだ。地元のことばで表すと違った迫力がある。 こうしてみると、加賀、加賀の人を遠くから見てきたときとはかなり印象が違うが、今、加賀旧北陸道を歩いていて、なるほどと思うことが多少はある。これからさらにどんな印象が生まれるか、楽しみである。 |