赤瓦あれこれ (その1)
 
 芭蕉ゆかりの全昌寺
 金沢城下を離れて、松任あたりから赤瓦が見られるようになった。この後、小松、大聖寺へと進むにつれて赤瓦は増えて行く。これらは加賀赤瓦と呼ばれるらしい、つやのある赤瓦である。小松から先では寺の屋根も赤瓦である。特に、奥の細道で芭蕉と曽良が一日違いで泊った、大聖寺にある全昌寺の赤屋根は鮮やかで見事である。北前船の船主村だった橋立も赤瓦が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された家並みの特徴の一つとなっている。

石川県立大聖寺高校の正門 
上記、全昌寺や寺井の瓦などと、色や光沢がちがう

 話しが前後するが、橋立に向かう前に歩いた大聖寺の旧街道沿いに、北前船船主の力を得て創立した旧制中学や高等女学校の歴史をつなぐ石川県立大聖寺高校がある。我が家の近所に住むその高校のOGに、校門をぜひ見てきなさい、といわれて注目していた。旧前田藩邸だった東大の赤門をイメージして平成2年に建てられたヒノキ造りだが、立派な赤瓦が載っている。ところが、その説明に困惑した。「越前・宮崎村の陶芸家によって焼かれた還元焼成赤瓦の古風な屋根」という。加賀の高校なのに越前の技術を利用したというところにもやや驚いたが、それはさておき、問題は「還元焼成」という点である。これまで、ボヘミアの旅の記録の中の「ヨーロッパの赤瓦屋根」に書いたように, 黒瓦は還元焼成でしっかり焼きしめた水分に強い瓦であり、赤瓦は酸化焼成で低コストだが吸水性が大きい素焼きゆえ多雨の地域には向かないこと、しかし、釉薬に来待石を使った釉薬をかけて焼くことによって美しい光沢のある、雨や凍結に強い赤瓦が得られ、石見の石州瓦として日本海側に広がりつつあると聞いていた。だから、ここまで見てきた加賀の赤瓦はこの石州瓦系だろうと思って納得してきた。ところが、大聖寺高校の正門の赤瓦は光沢がなく、明らかに釉薬を使っていないように見える。だから、耐水性のない酸化焼成による素焼きの赤瓦だろうと思ったのである。ところが還元焼成と書かれている。
悩んでしまった。

 帰って、調べてみた。大聖寺高校校門の瓦はどうやら伝統的で高度なテクニックを使ったらしい。釉薬なしでも緻密で吸水しにくく、しかも赤色を発色させることができるという。すなわち、はじめ還元雰囲気で焼いたあと、酸化雰囲気で焼くなどの方法らしい。 福井県瓦工業組合のページによると、「耀変瓦」と呼び、「高温還元焼成により、無釉でありながら、吸水率・強度等の品質は遜色なく、素朴な色彩感覚で品格の上にも落ち着きを醸し出す」とある。もちろん赤瓦である。なお、「越前赤瓦」という言い方があるが、これについて調べると、酸化鉄を多く含んだ越前土(鉄釉)を水と灰で薄めてハケで瓦に塗り、その頃は越前焼の焼き物と一緒に同じ窯で焼かれていたとされ、今は途絶えた技法という。これは、耐寒性に優れ、紫がかった暗赤褐色の薄い釉がかかり独特の色調をおびているという。陶芸家が焼いた伝統的な技法という点から大聖寺高校の瓦はこれだろうか、とも思ったが、校門の写真を確認しても、素朴な風合いで釉薬は使われているように見えないし、明るいオレンジ色系の褐色で、暗赤褐色とは言い難い。

 結局、校門の瓦が実際にはどのような方法で作られたのかわからなかった。しかし、赤瓦と言ってもさまざまなタイプ、製造方法があるらしいことだけは分かってきた。