開始日時 | 2011/05/16 06:45:07 | 終了日時 | 2011/05/16 13:32:15 |
水平距離 | 17.47km | 沿面距離 | 17.63km |
経過時間 | 6時間47分08秒 | 移動時間 | 4時間45分47秒 |
全体平均速度 | 2.60km/h | 移動平均速度 | 3.53km/h |
最高速度 | 15.64km/h | 昇降量合計 | 358m |
総上昇量 | 178m | 総下降量 | 180m |
最高高度 | 39m | 最低高度 | -8m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 06:45:07 | 0.00km | 10m | ||
00:01:50 | 0.14km | 3.9km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
ここが再スタート地点 | 06:50:06 | 0.14km | 22m | ||
01:17:04 | 4.74km | 3.5km/h | ↑31m ↓36m | -0.11% | |
滑川宿本陣・養照寺 | 08:29:32 | 4.88km | 16m | ||
01:04:37 | 3.61km | 3.2km/h | ↑27m ↓23m | 0.11% | |
水橋宿(富山市)本陣跡 | 09:52:00 | 8.49km | 16m | ||
02:12:01 | 8.51km | 3.7km/h | ↑111m ↓112m | -0.01% | |
東岩瀬宿御旅屋跡付近 | 13:18:40 | 17.00km | 16m | ||
00:10:15 | 0.63km | 3.6km/h | ↑9m ↓8m | 0.16% | |
GOAL | 13:32:15 | 17.63km | 14m |
2011/05/16 06:16:00
富山の魚と酒に、いささか二日酔い気味で出発
2011/05/16 06:50:06
ここにも小さな祠がある。今日もよい天気に恵まれた
2011/05/16 07:16:23
往還松だが、一町ごとに植えたことから門松と呼ぶらしい。樹齢200年で、今はこの一本だけが残っているという。滑川市の指定文化財である
2011/05/16 07:23:43
中山道や東海道に較べて、北陸道では一里塚が残っているところは極めて少ない。越中では、塚がのこているのは朝日町の横水一里塚とここだけである
2011/05/16 07:49:06
ここ中町と隣りの神明町の間に鍛冶屋が置かれていた。この写真中央は「大漁鮮魚店」で、先日のNHK「こころ旅」で火野正平がホタルイカを試食した場面が登場していた。トラックで仕入れから帰って来たらしいご主人に声をかけたら笑っていた
2011/05/16 08:02:34
案内板によると、ここに加賀藩によって設置された御旅屋が設置された。御旅屋守が桐沢氏だったようだ。案内板によると、ここを桐沢本陣とし、この後の養照寺が脇本陣であったとしているが、調査資料によると、養照寺が幕末には本陣だったとされているため、チェックポイントとしては、養照寺とすることにした
2011/05/16 08:07:37
船は、両岸に渡された何本ものロープに係留され、船を出すときにもそのロープを利用しているようで、めずらしい方法に思える。強風に船を痛めない工夫だろうか
2011/05/16 08:13:32
越中に入って、街道らしい風景が次々に現れたが、早々とベンガラ格子が登場してきた。加賀、越前へと進むとますます格子が増えてくるだろうと楽しみである
2011/05/16 08:29:32
富山県教育委員会の調査資料によると、もともと大町の弥永寺にあった本陣が火災のために、仮本陣としてここに移り、その後脇本陣となったが幕末まで再び本陣となったという。上段の間があるそうだ
2011/05/16 09:26:20
塚はなくなっているが、北側の塚の跡らしく、道路より若干高い
2011/05/16 09:52:00
この魚屋さんが本陣の跡らしい。加賀藩から本陣として指定された東水橋中野屋治右衛門家の跡である
2011/05/16 10:39:17
ここも、海と立山連峰展望の絶好の地である。晴れ渡って、実に気持ちが良い
2011/05/16 12:03:28
「古志」や「高志」は古事記神話にも登場する地名で、「越」のことであるが、具体的な地名として聞くのは、越後の山古志村以来である。「古志の松原」は明治のころの命名というが、地図にある地名「岩瀬古志町」とどちらが先なのだろう。この松原はその美しさで有名らしい
2011/05/16 12:48:45
岩瀬運河にかかる歩行者専用の橋が、街道時代の橋の位置にあるようだ
2011/05/16 12:55:43
町内ごとに準備の整った山車が置かれているが、どの山車にも人影がない。準備完了の祝宴中だろうか。岩瀬にある諏訪神社の春季例大祭「岩瀬曳山車(ひきやま)祭」である
2011/05/16 13:02:06
「たてもん」を載せた12基の曳山車が町を巡幸し、「曳き合い」では10町の曳山車が参加して、激しいぶつかり合いを行うとのこと。350年の歴史があるそうだ。富山県の曳山祭りとして、城端、高岡、八尾などが有名だが、地域の文化を総合、集約した形としての祭のように思われる。こうした文化を持つ地域はすばらしいし、とてもうらやましい
2011/05/16 13:11:55
千石船を10隻所有し、北海道~岩瀬~瀬戸内海~大阪を往復した、云わば総合商社だった。米、木綿、縄、藁加工品をこちらから、北海道から鰊や昆布を運んで莫大な富を得たという。他にも多くの廻船問屋で賑わった、この東岩瀬宿は北陸道の宿場であると同時に、北前船航路の、海の宿場であったわけである
2011/05/16 13:18:40
これだけ賑わった宿場であるのに、本陣跡がどこなのか資料にもない。神通川が暴れて、宿場が西に東に移動したこととも関係あるかもしれないが。チェックポイントは、調査資料にある御旅屋跡にした。ただし、その案内表示はどこにも見当たらなかったので、場所は正確でない