開始日時 | 2011/05/15 07:00:59 | 終了日時 | 2011/05/15 15:27:50 |
水平距離 | 24.95km | 沿面距離 | 25.30km |
経過時間 | 8時間26分51秒 | 移動時間 | 6時間05分05秒 |
全体平均速度 | 3.00km/h | 移動平均速度 | 4.02km/h |
最高速度 | 8.41km/h | 昇降量合計 | 651m |
総上昇量 | 271m | 総下降量 | 380m |
最高高度 | 152m | 最低高度 | -8m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 07:00:59 | 0.00km | 141m | ||
00:04:02 | 0.35km | 4.9km/h | ↑0m ↓15m | -4.32% | |
下立(おりだて)をスタート | 07:08:09 | 0.35km | 128m | ||
02:25:36 | 10.18km | 4.1km/h | ↑62m ↓163m | -1.00% | |
三日市宿本陣跡 | 10:09:36 | 10.53km | 39m | ||
02:24:06 | 10.16km | 4.1km/h | ↑138m ↓149m | -0.11% | |
魚津宿本陣跡の近く | 13:50:17 | 20.69km | 27m | ||
01:05:52 | 4.21km | 3.8km/h | ↑51m ↓48m | 0.07% | |
ここが本日の終点 | 15:05:54 | 24.90km | 33m | ||
00:04:55 | 0.31km | 3.7km/h | ↑1m ↓0m | 0.33% | |
早月加積(はやつきかづみ)駅 | 15:13:29 | 25.21km | 42m | ||
00:00:34 | 0.09km | 3.0km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
GOAL | 15:27:50 | 25.30km | 27m |
2011/05/15 07:00:00
魚津に宿をとって、この駅に戻ってきた
2011/05/15 07:08:09
ここが昨日の街道歩きの終点であった。この三叉路を右に入るのが旧北陸道である
2011/05/15 08:43:04
散居村は富山県西部の砺波平野が有名であるが、このあたり宇奈月町浦山から同栃屋、そして黒部市荻生辺りにかけても屋敷林のある散居村が広がっているようだ。街道の家並みをちょっとはずれて田畑が広がるところへ出てみると、独特の美しい光景がみられる。まだまだ、散居村は健在と云ってよさそうである
2011/05/15 09:32:18
1662年に上街道が出来て、長屋の村への入口にあった七本の松の下で旅人は一服したのだが、その近くで湧水が見つかって、そのそばに茶屋が開かれたそうだ。「箱根」とは、大きな山、神聖な山のことをいい、その神聖な山からの水ということらしい。今日も、地元の人たちが次々に訪れて聖なる水を汲んでいた。軟らかくておいしい水だった
2011/05/15 10:03:41
書画、美術品、掛け軸と書かれた骨董品店は、店そのものも骨董品に見える
2011/05/15 10:09:36
どこにも標識や案内はないのだが、調査資料によれば、この島薬局が三日市宿の本陣跡の場所という
2011/05/15 10:39:03
恐らく、元は「電鉄三日市駅」だったのだろう。この辺りの街の賑わいが戻って欲しいものである
2011/05/15 11:43:06
三日市から行くと、この写真の川のすぐ手前に布施川の流れがある。布施川は僧ヶ岳から流れ出ているが、地図で調べると、この片貝川はもっと奥の猫又山かが源のようだ。ここから、立山連峰が良く見えていて、いつまでも見とれてしまう
2011/05/15 12:29:21
大きな旧市街は電鉄黒部駅周辺だが、近代的な新市街がJR魚津駅前に広がっている。この写真は、その魚津駅からの道と旧北陸道との交差点から僧ヶ岳方向を見たもので、魚津駅がこの背中側にある。魚津と云えば僧ヶ岳という。前面に屏風のように広がっている
2011/05/15 13:14:00
旧市街とは失礼かもしれないが、昔からの伝統的な大きな街である。「銀座商店街」などで、シャッターが閉まっているのが残念である
2011/05/15 13:43:12
大正7年7月22日、魚津港に、北海道への米の輸送を行うための船がが寄航、十二銀行(北陸銀行の前身)が荷積みを行っていたが、魚津町の女性らが集まって、米の船積みを中止して住民に売るよう求め、嘆願した。「越中女一揆」として全国に報道され、米騒動の始まりといわれている]。魚津では、暴動は一切起こらなかったという
2011/05/15 13:50:17
ここよりも少し手前に魚津宿の本陣跡がある。北陸道の高田宿から110km、中山道の追分からの通算では244km歩いたことになる
2011/05/15 14:03:28
旧街道が海に接近したとき、海岸に出て見た。海岸にいた土地の方に聞くと、「今日のように暖かい日には蜃気楼が出るのだが・・・」とのこと。海上を探したが、それらしき兆候はない。肉眼で見える蜃気楼が出ると、魚津市役所は花火を挙げて市民に知らせるそうだ。今回の旅から帰った翌々日に、久々に出たそうで、泊った魚津の宿からメールで知らせがあった。残念!
2011/05/15 14:18:22
魚津の海岸からはかなり遠くに見えたのだが、突然、狭い旧道の目の前に現れて驚いた。伝統的な民家や、大きな自然石に「南無阿弥陀仏」と彫られた名号塔との対比が面白い
2011/05/15 14:26:11
この早月川を越えると滑川市である。この橋の上からは、北西側に日本海、東南側に立山連峰、と見事な眺めである。この日は、僧ヶ岳を左端に、毛勝山、剣ヶ岳、立山、龍王岳、大日岳など、見えるはずの山々のほとんどを見ることが出来た
2011/05/15 14:52:50
富山の人たちは実に幸せである。毎日、こんな美しい山々を見ることが出来るのであるから。でも、「今の季節は最高だが、それだけでなく、秋には紅葉が弥陀ヶ原を登って行くのがよく見えて、いつの季節も美しい」と、入善に住む友人がうれしそうに話してくれた
2011/05/15 14:55:37
これまた、旧街道に相応しい美しい光景である。立山の山並みと、大きく広がる水田の前に並ぶ石造物である。大きい石は歌碑に見えるが、信仰に関するものかもしれない。小さい石仏は、ミニ「大岩不動」ではないか。しばらく佇んでいたくなる景色である
2011/05/15 15:05:54
20数年ぶりの友人との再会に備えて、早めに切り上げて、ここが本日の終点である。1時間に1本しかない電車だから、遅れると大変である
2011/05/15 15:13:29
この駅も無人駅である。すぐ隣りの線路にJR北陸線が通っていて、特急がうなりを上げて通過して行くが、こちらの地鉄はしごくのんびりしている。とにかく牧歌的で、長い待ち時間も気にならないのが不思議である