開始日時 | 2017/05/29 07:09:03 | 終了日時 | 2017/05/29 16:19:45 |
水平距離 | 19.82km | 沿面距離 | 20.12km |
経過時間 | 9時間10分42秒 | 移動時間 | 6時間11分39秒 |
全体平均速度 | 2.19km/h | 移動平均速度 | 3.10km/h |
最高速度 | 51.74km/h | 昇降量合計 | 1239m |
総上昇量 | 439m | 総下降量 | 800m |
最高高度 | 817m | 最低高度 | 407m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
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START | 07:09:03 | 0.00km | 767m | ||
00:08:38 | 0.48km | 3.2km/h | ↑22m ↓0m | 4.64% | |
栂池旅館街分岐点 | 07:21:54 | 0.48km | 801m | ||
00:54:46 | 3.34km | 3.5km/h | ↑11m ↓187m | -5.34% | |
千国宿・千国番所 | 08:41:35 | 3.82km | 624m | ||
01:28:21 | 4.83km | 3.1km/h | ↑57m ↓177m | -2.52% | |
小谷村郷土館 | 10:43:34 | 8.65km | 504m | ||
02:23:28 | 6.96km | 2.8km/h | ↑303m ↓182m | 1.77% | |
幸田 文 歳月茫茫碑 | 14:22:21 | 15.61km | 626m | ||
01:12:46 | 4.39km | 3.5km/h | ↑20m ↓235m | -4.95% | |
来馬温泉 | 15:57:50 | 19.99km | 418m | ||
00:03:40 | 0.13km | 1.7km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
GOAL | 16:19:45 | 20.12km | 417m |
2017/05/29 07:09:03
スケッチ旅行の17名のグループの出発前にスタートすることができた。
2017/05/29 07:14:47
晴天に期待が高まる
2017/05/29 07:21:54
前日も散歩でここを通ったが、改めてここからスタートする
2017/05/29 07:25:30
栂池高原中心街からはずれた山沿いを行く塩の道である
2017/05/29 07:28:17
2017/05/29 07:30:36
今は80余体となったが、もともとは西国三十三番、秩父三十四番、坂東三十三番の百体であった。
いずれも高遠から招かれた石工によるものとされる
2017/05/29 07:57:17
街道に面したウマヤ口から入ると、右手に中二階があり、牛方はそこに泊まり、下方の牛馬の様子を身ながら寝たという。現存する唯一の牛方宿である。まだ7時台で、見学できなかった
2017/05/29 08:07:58
上部に人用、下部に牛馬用といわれる二個の石舟がある。写真上部にわずかに見えるが、その上部にあるという弘法大師の像は草に隠れているのか見えない
2017/05/29 08:20:09
やはり、馬頭観音が多い
2017/05/29 08:41:35
慶長年代に開かれた松本藩の番所である。航海されているが朝9時からである。幸い8時半過ぎに開けてもらえたので見学できた。
2017/05/29 09:09:14
千国越えも半ばとなったようだがますます、山がちになってきた
2017/05/29 09:51:02
ここでは庚申塔である。
2017/05/29 10:15:08
昭和46年に大地すべりが発生し、姫川をせき止めて大惨事となった。この石仏群の中にある、線彫り
の鍾馗像が珍しいという
2017/05/29 10:29:22
つづら折りの坂を登ると二十三夜塔が現れる
2017/05/29 10:43:34
明治44年の稗田山大崩落で消滅した来馬村の在りし日の姿が、ジオラマで展示されている
2017/05/29 11:35:14
2017/05/29 12:02:06
ここから、石坂越えルートの難所の一つ車坂に向かう。
2017/05/29 12:06:56
2017/05/29 14:22:21
明治44年8月の稗田山大崩落は、日本三大大崩れの一つといわれる大惨事であった。関心を持った幸田文が随筆、「崩れ」に描いたことから建てられた文学碑である。平成7年の、豪雨による土石流でこの碑も流されて埋もれたが、翌年に発見して再建された。
2017/05/29 14:32:57
この浦川の上流にある稗田山が崩れた。この橋の上流にある、吊り橋、金谷橋からその大崩壊の跡がよく見えるというが、幸田文もその後訪ねた娘も、霧に阻まれて崩れたあとを見ることができなかった。孫娘の
青木奈緒がやっと見ることができたという
2017/05/29 15:37:34
来馬宿の集落が近い
2017/05/29 15:44:58
明治44年の稗田山大崩落により、消滅した来馬村村役場や学校、民家そして田畑が埋もれて、今白い花が拡がる広い河原となっている
2017/05/29 15:57:50
この日の終点である。この来馬温泉、風吹荘は、大変ここちが良く、温泉も源泉かけ流しの、実にいい湯であった