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栄光の17世紀の絵画を楽しむ
 
 栄光の17世紀といわれる。オランダ東インド会社の活動に象徴される大商業活動によって栄え、商業都市の富裕な市民を基盤した文化の黄金時代を迎えたのが17世紀だった。旧ネーデルランド、すなわちオランダ、フランドルといえばすぐに、ルーベンス、レンブラント、フェルメールの3人の名が浮かぶが、いずれも17世紀の活躍で、まさに豊かさが文化を生んだのだった。と、そのあたりまでは承知しつつこれらの絵画鑑賞を最大の楽しみとして出掛けた今回の旅であり、5つの美術館を訪ねた。17世紀以降、19世紀のゴッホまでの間は本当に空白だったのか、も疑問であった。

  デン・ハーグ市立美術館
(マウリッツハイス代替展示)
 ベルギー王立美術館 クレラー・ミュラー美術館  アムステルダム国立美術館 国立ゴッホ美術館  

<フェルメールとその周辺>
 有名な絵であっても特別待遇されずに、膨大な展示の中に気負うこともなくごく自然に展示されているのはさすがである。今回は意識的に同じ時代の画家と比較しながら、あるいは時代背景をイメージしながらゆっくり観賞することを心がけてみた。フェルメールは同時代の他に見られない独特の構図表現をする画家と思っていたが、今年、2012年の年頭に渋谷で見た「フェルメールからのラブレター展」で、修復によって鮮やかに蘇ったフェルメールの「手紙を読む青衣の女」とともに出展されていたピーテル・ダ・ホーホやヘラルト・テル・ボルフなど、フェルメールと対比される画家たちがいて、テーマや構図がその時代の画家達の取り組みとかなり重なりあっていることを知った。今回も、その眼で見るとフェルメールの美しさにつながっていると思われる色使いや画風の作品が少なくないことに気付いた。やはり、17世紀のオランダの絵なのである。もちろん、その中でフェルメールが別格であることを改めて確認したことはいうまでもない。ラピスラズリによる「フェルメールブルー」は際立っていた。
 海外には決して出さないという「デルフトの眺望」を20センチの間近で見たとき、色彩の鮮やかさに加えて、筆の凹凸の迫力に圧倒され、まさに実物を間近に見る感動を味わった。「真珠の耳飾りの少女」は、このあと、日本に渡って東京都美術館で展示されることになっているから、すぐに再会できることも楽しみである。

「真珠の耳飾りの少女」
(フェルメール 1665年) 
マウリッツハイス美術館
「手紙を読む青衣の女」
(フェルメール 1662-64年) 
アムステルダム国立美術館 
「牛乳を注ぐ女」
(フェルメール 1658-60年)
アムステルダム国立美術館
 
「牛乳を注ぐ女」(部分)
(注)
マウリッツハイス美術館が大改修、閉館のためハーグ市立美術館での代替展示を見た
 


  「デルフトの眺望」
(フェルメール 1660-61年)
マウリッツハイス美術館
 「小路」
(フェルメール 1657-58年)
アムステルダム国立美術館
   
         フェルメールの周辺

フェルメールと同世代の画家、
ピーテル・ダ・ホーホ
(1629-1684)
  
(例えば「パイプを吸う男とビールを飲む女がいる中庭」)
   や、「デルフトの中庭

ヘラルト・テル・ボルフ(1617-1681)
  
(例えば「手紙を書く女」)
  などにはフェルメールと共通する雰囲気が漂っている。
カレル・ファブリディウス
デルフトの火薬庫大爆発で若くして命を落とした。
左は、マウリッツハイスにある「五色ヒワ」である。レンブラント第1の弟子といわれ、レンブラントの光の強いコントラストに対して柔らかい光を完成し、フェルメールの光につながったといわれる。 
「五色ヒワ」
(カレル・ファブリディウス 1654年)
マウリッツハイス美術館
(注)マウリッツハイスでは通常は撮影禁止だが、ハーグ市立美術館ではそのルールによりノンフラッシュ撮影が認められた。
今回の旅で訪れた美術館で撮影禁止はゴッホ美術館のみであった。

<ブリューゲルとその周辺>
 16世紀からの激動の時代に活躍したブリューゲル親子の、あの独特の絵についても、スペインとの戦いなどで困窮する町人の姿などの時代背景や批判が巧みに組み込まれていることや、16,17世紀にはブリューゲルに通ずる画風を持った画家も少なくないことを知った。ピーターブリューゲル(父)の描いた絵を、父と同名である長男が後に複製画として描いたものが多数存在するという。アムステルダム国立美術館には、
2枚の「ベツレヘムの人口調査」がある。父のオリジナル作品と息子の複写画が同じ部屋に展示されている。繰り返し見くらべて、違いを見つけて楽しんだ。

左右とも「ベツレヘムの人口調査」 左がピーテル・ブリューゲル(父)のオリジナル(1566年)
右が ピーテル・ブリューゲル(長男)による複写画(1610年)
 
 同じ構図だが、荷車の前の人物やロバに乗った聖母の右奥の人物の服装の色が違ったり、左の大きな木の向こうに見える夕陽が複写画にはない、など細部にはいろいろな違いがある。父の死後40年経って書かれた複写絵は、版画かデッサンなどの着色されていないモデルを使って書かれたためといわれる。 
 ブリューゲル親子の「ベツレヘムの人口調査」は、出産直前のマリアがベツレヘム村に着いた時の情景であり、新約聖書にある場面であるが、実際には描かれた1566年ごろのフランドル地方の世相が描かれている。解説書によると、前年の飢饉とスペインのフェリペ2世による重税に苦しむ様子が、例えば、豊かな人は税金を現金で納めて宿の暖炉で暖まっているのに対して、庶民は税の現物納入として鶏を差出し、枯れ木にテントを張った酒屋で飲んでいるなどによって表現されている。

 右の「雪の中の東方三博士礼拝」は長男によるコピーで、父によるオリジナル(1563年と推定)はスイスにあるそうだが、こちらも新約聖書のエピソードを利用した場面で世相を風刺している。この小さな写真では判別できないが、勢いよく煙を吐き出す大きな地主の家の奥にスペインの正規兵の一団も見える。
 ブリューゲルは単なる風俗画ではなく、庶民の苦しみやスペインへの批判を描いていたのである。 
       
ベルギー王立美術館・古典美術館
 

左はアムステルダム生まれのヘンドリック・アーフェルカンプにより17世紀初頭 に描かれた「氷上歩きのある冬景色」である。オランダ画派最初の風景画家といわれ、特にオランダの冬景色を得意とした。ブリューゲルとも通ずる楽しい絵である。

   アムステルダム国立美術館

 ザーンセ・スカンスの店に飾られていた古い写真である。ブリューゲルやアーフェルカンプの冬景色を思い出させる景色である
 ピーター・ブリューゲル親子の時代、16〜17世紀は日本でいえば戦国時代末期から江戸初期にあたる。洛中洛外図屏風(室町から江戸中期まで80から100点あるといわれる)や江戸図屏風などが描かれた時代である。たとえば、洛中洛外図屏風の舟木本(東京国立博物館)や、江戸図屏風(国立歴史民俗博物館)江戸名所図屏風(出光美術館)などがある。描かれた対象は違っていても、同時代の風俗を描いた西ヨーロッパと日本の図であることが面白い。庶民の素朴な姿に加えて外国に蹂躙され、重税に苦しむ様子も描いたブリューゲルに対して、屏風類は繁栄と安定を誇示している。天下統一がなって、安定期に入った時代とはいえ、屏風の作成目的からしても、御用絵師による上から目線で描かれたためかもしれない。いずれにしても、ルーペ片手に観察すると、理屈抜きでたいへん面白い点が共通している  
洛中洛外図屏風舟木本(部分)
     

<文化の沈滞>
 やはり、栄光の17世紀を過ぎると火が消えたようである。オランダではイギリスとの戦いやフランス軍の侵入などの混乱によって経済力は不振に陥り、17世紀の栄光はたちまち崩れ去ってしまったのだ。文化も沈滞した。19世紀後半のゴッホまで美術史年表に空白が続くことになる。スケールが違いすぎるものの、流通経済で同様に急発展で繁栄した「北前船」文化の栄光が、幻のごとく消えたことを思い出さずにはいられない。旧北陸道歩きで感慨にふけったばかりであるから。
 世界史でも日本史でも語られている「豊かなときに文化が生まれる」が、そのまま当てはまるのがオランダ・フランドルの美術であった。宗教画から、富をなした商人やその組織のサポートによって、肖像画や風景画などの世俗を描くなどの新しい絵画が、この地で生まれたが、繁栄が終わるころ、美術の世界の中心はフランスに移って行った。
 しかし、我々の絵画を見る目までがこの地を離れて、全面的にフランス絵画に移動したわけでは決してない。

<さかのぼる面白さ>
 今回も、各地の大聖堂や美術館で、ミケランジェロやルーベンス、ファン・ダイクなどの祭壇画などの宗教画を見てきた。正直をいえば、これまでは、こうした絵画は宗教的バックグランドを持たない自分にとって難解であり、ゴシック建築の聖堂の圧倒的な迫力の中での装飾としてしか見てこなかった。しかし、永く19世紀フランス絵画に馴染んできて、なにか物足らなさを感じたとき、その先として20世紀の絵画を求めるよりも、18世紀、17世紀と遡ったときに新鮮な、むしろモダンな感覚の美しさに驚くことがある。今回もこれを実感する機会となった。ルーベンスやブリューゲルなど16から17世紀の絵画を見て、旧約聖書や新約聖書にもとづく宗教画、祭壇画の世界と世俗の絵画のつながりに触れた気がして、古い時代にいっそう馴染みが深まったのである。中学、高校のころからの、シューベルトやベートーベンなど、19世紀の作品から始まった音楽鑑賞が歳を重ねるにしたがって、現代音楽に向かわずに、モーツアルト、ハイドン、ヘンデル、バッハ、ヴィヴァルディ、と18世紀、17世紀バロックへとさかのぼって関心が拡がったのと同じことかもしれない。年齢のせいだろうか。

「織物業者組合の理事たち(部分)」
(レンブラント 1662年)
アムステルダム国立美術館
「夜警(部分)」
(レンブラント 1642年)

アムステルダム国立美術館
「テュルプ博士の解剖学講義(部分)」
(レンブラント 1632年)
マウリッツハイス美術館
       
 「使徒パウロとしての自画像」
(レンブラント 1661年)

アムステルダム国立美術館
 「ヨハネス・ウエンボールトの肖像」
(レンブラント 1661年)
アムステルダム国立美術館
「陽気な酒呑み」
(フランス・ハルス 1630年)
アムステルダム国立美術館 
レンブラントの肖像画に惚れ直した。自画像はもちろん、息子ティトゥスを描いた「僧としてのティトゥス」や「ヨハネス・ウエンボールトの肖像」がすばらしい。レンブラントやフェルメールと並んで17世紀オランダの大画家に数え上げられるフランス・ハルスの「陽気な酒呑み」もすばらしい。17世紀前半の作品とは思えない筆使いだ。「夜警」にも再会したが、20年ほど前に見たときと印象がかなり違う。当時は部屋が違っていて暗かったり、雰囲気が違っていたのかもしれない。帰りにスキポール空港で偶然出会った友人も同じことを言っていた
「キリストの昇架」(ルーベンス 1610年)
アントワープ・聖母大聖堂
「キリストの降架」(ルーベンス 1614年)
アントワープ・聖母大聖堂
「バベルの塔」 (ヨース・ドゥ・モンペル2世
16世紀末〜17世紀前半) 
ベルギー王立美術館
「バベルの塔」
(ヘンドリック・ファン・クレーヴと推定 
17世紀と推定)クレラー・ミュラー美術館
アントワープの聖母大聖堂(ノートルダム大聖堂)のルーベンスには圧倒された。レンブラントもフェルメールもほぼ同時代であることにある種の感動を覚える。ルーベンスに憧れていた「フランダースの犬」のネロ少年は、見物料を払えず、この2枚の絵を見ることができなかったという  ウィーン美術史美術館にあるブリューゲルの有名な「バベルの塔」は何度か見たが、この2枚は初めてである。半世紀前のブリューゲルの塔よりも工事が進んで雲を突き抜けているようだ。美術史家によると、これらの絵にも膨大なメッセージが描きこまれているという。

   
「ビーナスとキューピッド」
(ルーカス・クラナハ 15-16c)
ベルギー王立美術館
Venus with Amor the honey thief after
(ルーカス・クラナハ 1537〜)
クレラー・ミュラー美術館
「 The cry 」
 (イサム・ノグチ)

クレラー・ミュラー美術館
 「ジャック氏」
(オズワルド・ウェンクバッハ)
クレラー・ミュラー美術館


<ゴッホ>
 オランダ絵画は17世紀の栄光が崩れたあと、美術史年表に空白が続いたが、19世紀後半になって巨人が登場した。
ゴッホのコレクションとして世界第1位の国立ゴッホ美術館(ゴッホの油彩200点、デッサン500点等所蔵)と第2位のクレラー・ミュラー美術館(ゴッホの油彩90点、デッサン180点所蔵)の両方を楽しむ贅沢に恵まれた。

 国立ゴッホ美術館では、オランダ時代、アントワープ・パリ時代、アルル時代、サン・レミ時代、オーヴェール・シュル・オワーズ時代、とゴッホの環境の変化と、心の変遷による作風の変化が理解しやすい展示であった。劇的な変化に、感ずるところ大であった。初期などに意外な作品群があることも分かって大満足だった

(注)
国立ゴッホ美術館は撮影禁止であったため、ここはクレラー・ミュラー美術館の作品のみである
「草の小道(部分)」
(ゴッホ 1887年)

クレラー・ミュラー美術館
「アルルのはね橋」
ゴッホ 1883年)
クレラー・ミュラー美術館
「陽が昇る壁で囲まれた麦畑(部分)」
ゴッホ 1889年)

クレラー・ミュラー美術館
    
 「夜のカフェ・テラス」
(ゴッホ 1888年)
クレラー・ミュラー美術館
 「プロヴァンスの夜の田舎道」
(ゴッホ 1890年)
クレラー・ミュラー美術館
 「ジョセフ・ルーランの肖像」
(ゴッホ 1889年)
クレラー・ミュラー美術館
   今回の旅に出発する前、面白い新聞記事に気づいた。1974年にクレラー・ミュラー美術館がゴッホの作品として購入した花の静物画が本物かどうか疑わしいとされて、当時は作者不明と結論づけた。しかし、最新のX線調査で調べ直したところ、静物画の下に二人の男が描かれていることなどからベルギーのアントワープ時代の作品であり、ゴッホの作品と判明したという。(2012年3月21日付朝日新聞夕刊)
今回、その作品を見ることができたが、この件に関する特別な説明はなかった
 
 
 「花の静物画」
(ゴッホ 1886年ごろ)
クレラー・ミュラー美術館

 アムステルダム国立美術館と国立ゴッホ美術館の裏にある大きなミュージアム広場越しに、コンセルトヘボーの立派な建物が見える。音楽ファンにとって、本来ならここでぜひともオーケストラを聴きたいところである。時間がなくて断念したが「ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダムコンセルトヘボー管弦楽団」という懐かしい響きが頭にこびりついている。

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